溺れる事は簡単で、故に難しい。
二人の休日編



 日曜日の昼下がり、恋人と過ごす休日は穏やかで心地の良い時間だった。窓ガラスの向こうに見える空は青天で、晴れ晴れとした青と、白い雲のコントラストが眩しい程に目に映える。外を行き交う車や人々の気配に紛れて、時折小鳥の囀りが混じった。いつも過ごしている忙しい平日とは違った時間の流れは新鮮で、いつまでもこうしていたいとさえ思える。
 南野はふと、自分の隣でテーブルに肘をつき、コーヒーを片手にぼんやりとテレビを眺めている有沢の横顔を見上げた。この部屋のサイズにしては少しだけ大きな三人がけのソファは、二人並んで寛ぎながら座るにはぴったりのサイズだった。一人で使うなら両サイドに備えられた肘掛けをそれぞれ枕と足掛けにすれば、横になって仮眠をとる事も出来るサイズだ。
 付き合い始めてからもうそろそろ一年が経過しようという頃合いで、一緒に住み始めてから一ヶ月程の時間が過ぎようとしていた。
 付き合い始めや、同棲を開始させた当初のような新鮮味やときめきといったものを感じる事はもう稀で、それでも今はただ一緒に居られるだけで嬉しかったし、幸せだった。
 はじめての恋人を失ってから、有沢と出会うまでの数年間、毎日を喪失感で埋め尽くされていた南野にとって、いつも通りの日常がかけがえのない幸せの一瞬だった。決して口に出す事はないけれど、有沢と一緒に居る事で失ったものが一つずつ埋められていく。一人では絶対に埋める事の出来なかった傷を、一人ではどう足掻いても深みを増していくだけだった孤独感を、南野が何も言わず一人で抱えようとして抱えきれずにいたものを、有沢は全て埋めていくのだ。
 じっと見つめる視線に気付いたのか、有沢は身を起こしてコーヒーカップを持っていない方の左手を南野の腰にまわした。ピタリと密着した身体、服越しだというのに体温さえ感じられそうだった。
「新しいシャンプー、いい匂いしますね」
 そう言いながら今度はカップを置いて右手も使って南野を抱え込むようにし、有沢は自分の鼻をぐりぐりと南野の髪に押し付けたかと思えば、そこで深呼吸を繰り返す。その呼吸に合わせてほんのりと茶色味がかった柔らかな髪が揺れた。
「そうか?自分じゃよくわかんないかも」
 有沢の吐息がくすぐったくて、自分を包む腕の中で身を捩らせながら応える。
 南野自身としてはシャンプーに特にこだわりはない。髪を洗って汚れを落とす、それさえ出来ればなんだって構わないのだが、有沢はプラスアルファの付加価値を求める方だ。より良い匂い、手触り、成分も気にしてみたり、新製品が出ればとりあえず試してみる方で、それはシャンプーに限った話しではない。
 昨日買ったばかりのシャンプーはつい最近、新しく発売されはじめたもので、有沢が選んだものだった。長らく同じシャンプーばかりを使ってきていた南野が新たな商品に手を出すには些かの抵抗と、しかしよくよく考えてみれば、それまで使っていた製品に拘る必要はないのだと思い直し、大人しくその新製品を受け入れた。
 こうして喜んでいる恋人の姿を見ていると悪い気はしない。それどころかその姿を見ているだけでなんだか嬉しくさえ思えてくる。
 楽しいだとか、嬉しいだとか、そういった感情とまた巡りあう事が出来るなんて、有沢と出会う前までは考える事も出来なかった。
「ねぇ、南野さん……」
 髪に顔を埋めていたはずの有沢は更に背を曲げ、南野の耳元に唇を寄せた。敏感な部位にかかる吐息にぞくりと背筋を震わせる。
 有沢の指は何かを求めるように南野の肌を滑った。頬から唇、唇から喉まで落ちたかと思えば、部屋着のTシャツの上から胸から臍を撫でる。
「……うん」
 有沢の言わんとする事を察した南野は、こくりと頷くとそのまま身体を預けて首だけをそちらへ向かせ、唇を請うた。
 窓から入る日差しに照らされ、和やかな空気に満ちた部屋の中、二人の唇が合わさった。重なった二つの柔らかくて温かい唇は互いを求めて貪る。啄むようなキスから、徐々に舌を絡め合うキスへ。
 粘膜が合わさり、唾液が混じる。濡れた音の間からは時折南野の微かな喘ぎ声ともとれるような声が漏れた。
 有沢の舌に上顎を擦られると、じん、と腰に甘い痺れが走る。大きな手で後頭部を支えられ、口腔内を掻き回される。期待は既に膨らみあがっており、着ている服すらも窮屈だった。
「あり……さわ」
 有沢の胸を押し返し、予感に濡れた瞳で見上げる。見上げた有沢の瞳もまた濡れていて、灯っている欲望が感じられるそれだった。
 二人は目を見つめ合ったまま、どちらともなく南野を下にして身体を横たえる。三人がけのソファがギシリと音を立てた。そして、南野の白い首筋に有沢は齧りつく。少しだけ歯を立てた甘咬み程度で痛みは感じない。それよりも肌を這いまわる舌の方がくすぐったくて、それに官能を煽られる。
 やや性急気味にシャツを捲り上げられ、胸から腹にかけてが冷たい空気に触れた。熱い指先に脇腹を撫でられる。そのまま下へと移動する指は南野のスウェットを下着ごとずりおろした。剥きだしになった性器は熱を持って天を向いていた。
「こんな何も知らなさそうな可愛い顔してるのに、中身は気持ちいい事大好きな淫乱だなんて、まるで作り話みたいですよね」
 そう言って有沢は南野の頬を一撫でしたかと思えば体勢を変え、南野を押し倒してその両手をソファに縫い付けるように抑え込んだ。
「なっ……誰が淫乱だよっ……!」
 気持ちの良い事は確かに好きだったけれど、淫乱だと言われるのは心外で、身を起こそうとするがそうすると腕を抑えこむ手に力が込められてギリリと痛んだ。
 南野が睨みつけると、有沢は喉の奥で笑った。
「そうやって怒りながらでも萎えないあたりとか?」
 言われた通り、ペニスは互いの身体の間で揺れている。先程から有沢が動く度に先端が有沢の服に擦れ、甘く疼くのだ。変え難い現実を突き付けられ、さっと目を逸らして下唇を噛み締め、羞恥を堪える。
 有沢はソファの隣に設置してあるサイドテーブルに手を伸ばし、何かを取ると再び南野の腕を取った。今度は片手で両腕を一纏めにしていた。
「縛って、いいですか?」
 腹の上に座り、南野を見下ろして言う台詞は形式こそ窺うものであったが、その口調は威圧的で相手に選ばせる気などないものだった。
 ここで抵抗しても、結局は体格差のある有沢の思い通りになってしまうのだ。諦めた南野が小さく頷くのを確認すると、サイドテーブルから取った物――ガムテープで、顔をめいっぱい横に逸らした南野の両腕を一括りにしてしまう。ただのガムテープで、粘着力もそこまで強くない。一枚だけなら少し力を入れて暴れれば簡単に剥がれてしまう。有沢はそのガムテープを手の甲から前腕の中頃にかけて幾重にも巻き付け、自力では決してとれないようにしてしまう。指先とひじ関節は自由に動くが、それだけの動きでガムテープが外れるわけもなかった。
「……お前だってそういう趣味持ってる癖に」
 ガムテープに覆われた己の手をぼんやりと見詰めながら口を尖らせる。
 その唇を、やんわりと笑んだ有沢が撫でた。
「だって、縛ったら南野さん喜ぶじゃないですか」
「なっ……」
 そんな事ない、と言いたかったけれど、ペニスを勃起させたままのこの状態では言えるはずもなく、続ける言葉を失って口をぱくぱくとさせる。
「ついでだから目隠しとかもしちゃいます?」
「ついでってなんのついでだよ!意味わかんねーって」
 しかし、有沢は慌てた様子の南野には構わず、再びサイドテーブルに手を伸ばした。そこにはソファで仮眠をする時のためのアイマスクが仕舞われている。それを取った有沢は両腕を取られ大した抵抗もできない南野の視界を奪った。
「南野さん、好きですよね?こうして自分で動けなくされて、ちょっと無理矢理っぽくされるの」
「好きなわけないだろっ!」
 身を捩り、その場から逃げようと試みるが頭上にあるソファの肘掛と、己の腹の上に乗る有沢に阻まれてろくに身動きもできなかった。視界を塞がれた事で、有沢が今一体どんな表情をしているのか、果たして何を考えているのか、これから何をしようとしているのか、何もわからずとにかく不安だった。
「……本当もう、素直じゃないですよね」
 有沢は座る位置をずっと後方へずらし、南野の両膝の上へと移動したかと思えば、唐突にペニスに触れる。
「ひっ……」
 勃起したままだったペニスは、男の手のひらの感触にさえ敏感に反応する。
 先端の一番膨らんだ部分をこりこりと捏ねるようにされると、急激な快楽が腰に流れ込み、身体の奥がじんと痺れた。
 うっかりすればあられもない声が漏れてしまいそうで、南野はガムテープで包まれた己の腕を口元にあて、齧るようにして声を堪える。
「おちんちん、どうやって触られるのが好きですか?」
 手のひら全体で、根本から先端まで何かを搾り取るかのような動きで扱かれる。そこから広がる快楽は手足の指先まで回り、神経が焼き切れるような錯覚さえ覚えた。
「裏筋も好きですよね?」
 その言葉と同時に膝が軽くなる。有沢が退いたのだ、と理解するよりもはやく、膝を大きく広げられていた。そうされる事で、普段は隠れている身体の中心が空気に触れてひやりと冷える。
 南野が膝を閉じられない様、有沢はその間に跪く。質の良い柔らかな髪が下腹に触れたかと思えば、ペニスが生暖かく湿ったものに包まれた。何度も味わったその感覚は見なくてもわかる、有沢の口内の感触だった。
「ぁふっ……んっ……」
 ぴちゃぴちゃと、濡れた音がまだ明るい太陽の陽光に溢れる室内に響く。朗らかで心地良い場所に響くその淫猥な音はなぜか背徳的だった。
 視界を奪われ、気を逸らす事も出来ない。出来る事と言えば、ただ与えられる快楽を享受するだけなのだ。
 舌の動きに翻弄される。裏筋を柔らかく撫でたかと思えば、その次の瞬間には敏感な尿道口を突かれる。口に含んだままのペニスを吸われ、頭の奥に火花が散る。
「……あり、さわっ……」
 絶頂はすぐそこで、あともうひと押しだった。
「そろそろ、素直になる気になりました?」
 けれど、有沢はそう言って口を離し、愛撫をやめてしまう。
「な……に」
 突然終わった降り注ぐ快楽の雨の余韻は、南野からまともな思考さえ奪っていた。
「気持ちの良い事、好きですよね?ねぇ、この状態で好きじゃないなんて、嘘でしかないですもんね。」
 爪の先で、曝け出された白い内腿をゆっくりと引っ掻く様に撫で上げる。熱くなってしまった身体は、普段ならくすぐったいだけで済むようなその甘い疼きをも快楽に変換してしまう。
「きちんと言えたら、ご褒美あげますよ。……こうして拘束されて、無理矢理されるの好きですか?」
 ごくり、と生唾を飲む。
 頂点を目前に放り出された身体の中では、溢れんばかりの熱が渦巻いている。その熱を放出したくて――もっと深い快感を味わいたくて、理性はどこかへ吹き飛んでしまっていた。
「好き……」
 蚊の鳴く様なか細い声で言う。
「よくできました」
 満足げな有沢はそう言って、南野の髪を撫でた。温かいその手のひらに撫でられると、心の奥から満たされるようだった。
 髪を撫でた手はそのまま頬を伝って滑り、唇で止まる。
「濡らしてくださいね」
 そして押し込まれた二本の指に舌を絡ませ、唾液を塗りたくる。根元まで銜え込んだ指は長く、時折嘔吐感さえ押し寄せるが、今はそれさえも興奮を煽るスパイスだった。
 充分に濡れた指は引き抜かれ、南野の予想した通り後孔へと宛がわれる。南野は知らず知らずのうちに足を大きく広げ、その指を受け入れる体勢を整えた。
「んっ……」
 爪の硬い感触、続いて徐々に内側から広げられていく感覚、息を吐いてそれらを受け入れる。自分の知らない場所を広げられるその感覚は、何度味わっても慣れる事はない。
 挿入された二本の指にまだ硬い入り口をぐっと広げられ、空気に晒された内壁がひくついた。
「どの辺がイイんでしたっけ?」
「ひっ……んぁっ……」
 おもむろに撹拌するように中を掻き回され、ゴツゴツと骨ばった関節が快楽の源を抉る。待ち望んだ快感を与えられ、脳天を突き抜けるような激しい電流が身体に走る。ふとすれば溺れてしまいそうな、絶大な快楽だった。
 声を押し殺す事すらも忘れて口を開けたまま淫らに喘ぎ声を漏らす。全身から汗が噴き出し、内側から湧き出るような快楽にただひたすら飲まれるだけだった。
「気持ちイイですか?」
 南野が必死に頷くと、体内で指がバラバラに動かされた。その指先が悦い場所を掠め、不自由に拘束された身体を捩って身悶える。狭いソファの上で浮いた足が空気を蹴った。
 時折、ぐちゃぐちゃと濡れた音が聞こえた。非現実的なまでの快楽は身体から思考まで、南野の全てを支配する。
「ありっ……さ、……わ」
 目尻からは生理的な涙が溢れてきていた。勃起したペニスは身を捩る度に揺れ、それはまるで有沢を誘っているかのようだった。
「そろそろいい頃合いですかね」
 いつの間にか指は三本に増やされていて、入り口もすっかり柔らかく解れていて、有沢は南野の体内からずるりと指を引き抜いた。
「ん……」
 いよいよ男根を飲めるのだ、と期待が高まる。指だってそれなりに善かったけれど、それよりも有沢のペニスの方が好きだった。
 僅かな衣擦れの音に、期待が高まる。視界を奪われている分、音には随分敏感になってしまっているようだった。
「いれますね」
 その言葉と同時に足を抱えられ、尻が宙に浮く。晒された後孔に、指とは比べものにならない程の圧迫感を感じた。
「っ……」
 息を詰めて力が入ってしまいそうになる身体を、必死で深呼吸を繰り返して落ち着ける。一度受け入れてしまえば後は快感の沼に堕ちていくだけなのに、受け入れるその瞬間はいまだ慣れるものではなかった。
 狭い道を、男根がゆっくりと割り開く。男を咥えこんでいるのだと思うと、その背徳さに興奮する。体内に感じる体温はやけに熱かった。
「……大丈夫、ですか?」
 ペニスを根本まで埋め込んだ有沢は、僅かに眉根を寄せた南野の頬をそっと撫でた。その手の温もりは優しく、何よりも大切だと思えた。
 南野が静かに頷くと、有沢は南野の腰骨を持ち、腰を動かし始める。
「ひぁっ……ん、ぁっ……うっ……」
 擦れる痛みは一番気持ちの良い場所を抉られる快楽で吹き飛んでしまった。
 リズム良く、感じるしこりを擦り上げられてその快楽を貪る。快楽に染まった頭では、ここがどこなのか、自分は誰なのか、今は夢なのか現実なのか、それすらも考えられなくなってしまう。
「ひっ……」
 一番奥まで勢いよく突きこまれ、今まで知らなかったような場所が広がる。
「……南野さん、好きです」
 快感に呑まれて何も考えられない南野に、有沢は切羽詰まった声で囁き、アイマスクを取り去った。暗闇だった視界はとたんに光が溢れ、その眩しさに目を眇める。
 陽光に溢れた部屋と、薄っすらと汗をかいた有沢が目に入った。
 その瞳は真剣で、出会った頃から何も変わらない瞳だった。
 有沢の一方的なまでの愛情を重く感じた事もあった。自分は愛される資格などないのだと拒んだ事もあった。けれど、いくら拒んで逃げても有沢はついてきた。
 今のように、真剣な瞳で、好きだと言いながら。
「俺……も」
 逃げる必要はないと気付いたのはいつだっただろうか。愛されてもいいのだと気付いたのはいつだっただろうか。もう一度、人を愛したいと願ったのはいつだっただろうか。
 南野は照れくさそうにはにかんで言った。
 その答えを聞いた有沢は、少年のように笑って絶頂を追う。そして、南野もその動きに翻弄された。
 体内で脈打つ男を感じながら、快楽の証を放出する。
 これからもずっと、穏やかで幸せな日常が続けばいいと、そう思った。


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