溺れる事は簡単で、故に難しい。
第十六話
 窓から差し込む朝陽と、小鳥の囀りで目が覚める。まだ眠りたいという身体に鞭をうち、瞼を持ち上げた。
 目の前には有沢の寝顔があった。くうくうと寝息をたてて幸せそうに眠っている。
 左右対称に整った目、くっきりと通った鼻筋、少し薄めの血書が良い唇、見慣れてはいても、こんなに近くで観察した事はなかった。
 その唇に吸い込まれるようにキスを落とす。
「……!」
 触れるだけのキスだったけれど、有沢を覚醒させるには充分だったようだ。
 目を開いた有沢は飛び起きると驚いた様子で辺りを見渡し、そしてようやく昨日の事を思い出す。
「あー……そうだ、俺南野さんちに泊めてもらったんだった……」
「なに、寝起きで混乱してんの?」
 南野も有沢に合わせて上体を起こした。有沢と一緒に寝て起きるなんて非日常が新鮮で、心が高鳴る。
 頭を掻いた有沢は南野の方を向き、にこりと微笑んだ。
「おはようございます」
 言いながら手を差し伸ばし、南野の身体に巻きつける。
「おはよ」
 南野も有沢に身体を預け、求められるままに唇を重ねた。
 何度か啄んで、舌を受け入れる。ねっとりとした有沢のキスは、喧嘩をして以来だった。
 隣には彼女の写真がある――その視線は南野の方を向いていて、南野もそれをわかっていた。罪悪感はまだある。けれどようやく、一歩を踏み出せた気がした。
「さ、準備しましょうか」
 二人は昨夜と同じように交互にシャワーをあび、出社する準備を整える。コンビニで買ったパンを食べ、忘れ物がない事を確認して家を出た。
「南野さん、また泊まりにきてもいいですか?」
 会社への道中を誰かと共にするなんて事はこれが初めてだ。有沢と共に電車に揺られながら話をする。
「ああ、いつでも来るといいよ」
 有沢と、またこうして話せるようになって心底良かったと思う。別れる事になってもいいと思っていた自分がいたなんて、まるで嘘のようだった。
 恋心と呼ぶにはまだ曖昧で、けれど、有沢を大切だと思う気持ちに偽りはなかった。
 電車を降りた二人は共に出社し、続けてタイムカードを押すと仲良くそれぞれのデスクへと座った。
 好きでも嫌いでもない仕事だったが、プライベートが充実していると俄然やる気が湧いてくる。
 与えられた仕事をミスなく迅速に済ませていく南野と、その南野を見て仕事をする有沢の評価は社内でも高い方だ。
 カチカチとキーボードの音を響かせながら仕事を進めているうちに、昼休みへと突入していた。時間を忘れられる程集中できると、目に見えて仕事の進みがはやくなる。できればこのまま昼休みもとらずに仕事を続けていたいくらいだったが、休むべき時には休まなければいけないし、それに今の仕事はそこまで急ぎではない。――あと、有沢との約束もあった。
「南野さん、何食べたいですか?」
 パーティションからひょっこりと顔を覗かせた有沢と連れ立って、南野は社外へと出る。
 まだまだ夏が続く――しかし、昼間の太陽は少し優しくなったようだ。涼しい風も時折混じる。
「ハンバーグかパスタがいい。あと回転寿しとかでも」
 会社の周囲にはラーメンやうどん、丼ものからファミレスと、様々な飲食店が立ち並んでいる。
 昼休みに外出するのが億劫でずっとコンビニ弁当を通していた南野なので、恵まれた環境でありながら半分以上の店には足を踏み入れた事はない。
「南野さんってハンバーグ好きですよね」
 有沢は顎に手をあて、何にしようかと思考を巡らせているようだ。
「んー……そうだな、どっちかって言うと好きかも」
「じゃあハンバーグにしましょうよ!俺もちょうどハンバーグの気分だったんです」
 そう言って、満面の笑みの有沢は大きな看板を掲げたハンバーグ店を指さした。
「じゃあそれで」
 南野と有沢はそのハンバーグ店へと向かった。
 ちょうど昼時だけあって、店内は混雑していた。が、並ぶ事はなく、二人はすぐに席へと案内された。窓際の席で、窓の向こうには道路があった。
「俺、日替わりランチ」
「じゃあ俺もそれにします」
 席に座るなり案内してくれた店員に注文を済ませ、出されていた冷水に口をつける。
 ほんの僅かにレモンが絞ってあるのか独特の香りが口腔に広がった。
 十分程待った頃だろうか、二人のテーブルに注文した日替わりランチが運ばれてくる。
 ご飯とスープ、ミニサラダとハーフサイズのハンバーグと、同じくハーフサイズのチキンがセットになっていた。
「おおうまそーですね!いただきまーす」
「いただきます」
 そうして二人は食事を開始する。午前中、頭をフルに使っていたせいか、もう空腹は限界だった。舌に広がる美味もさることながら、胃を満たす充足感は凄まじい。
 セットをぺろりと平らげた南野は食後のデザートとしてチョコレートパフェを、有沢はアイスコーヒーを注文した。
「……そういえばスイーツデート、しないとですね」
 と、有沢は唐突に口を開いた。
 南野自身もすっかり忘れていたが、いつの日かそんな話をした事もあった事を思い出す。
「有沢、甘いもの苦手ならやめとけって。無理に付き合ってもらっても申し訳ないし」
 女性ばかりのスイーツ店に一人で入るには気が引ける――と、有沢を誘ったのだが、よくよく考えてみれば男二人で店内に入る方が人目をひくはずだ。
「うーん……苦手ってわけじゃないんですけど……」
 有沢は口籠り、南野はそれ以上言葉を重ねる事はやめた。どうやら好き嫌いはあまり認めたくない性質らしい。
「スイーツデートはいいからさ、今度有沢んちに遊びに行った時にさ、ホットケーキ作ってよ。市販のホットケーキミックス使って作るやつ。俺、あれにバニラアイスと生クリームのせて食うの好きなんだけど自分じゃできなくてさ」
 南野はふと思い付いてそう言うと、有沢の瞳がみるみるうちにキラキラと輝き出すのがわかった。
「ホットケーキですね……!用意しておきます!昔、綺麗な焼き目がつけられるようにって姉ちゃんに特訓させられたんですよね。任せてください!」
 胸を張る有沢を見て、南野はふっと頬を緩める。責任感が強く、こうして些細な事でも頼み事をすると俄然やる気を出す男なのだ。一緒に仕事をする後輩は扱いやすく、それは恋人になっても変わらなかった。
 パフェに盛られた生クリームとチョコシロップをスプーンでとって口に含む。程よい甘さが舌を伝い、じんわりと脳髄を痺れさせた。
 昼休みにこうしてパフェを食べられるなんて至福以外のなにものでもない。普段、有沢の作ってくれる弁当には時折クッキーやマフィン、果物などがデザートとして添えられている事はあるが、生クリームとアイスクリームがもたらす多幸感には遠く及ばない。
 南野がゆっくりと時間をかけてパフェを味わったため、二人が会社に戻ったのは午後の仕事が始まるチャイムの音と同時だった。
 仕事以外の時間では恋人としての仲を深める二人だったが、仕事をしている時はあくまで職場の同僚である態度を崩さなかった。南野も有沢も私情を挟んでしまう程狭量ではない。
 平日はそうして仕事をし、仕事がはやく終われば有沢の家で夕食を共にした。翌日に仕事を控えていると、安易に泊まる事もできず――それは有沢にも理解できたのだろう。引き止められる事もなかった。
 週末には酒を持って有沢の家に行き、映画を飲みながら腹を満たして唇を重ねる。有沢に触れられる事も随分と慣れたものだ。
 その日もいつものソファで、有沢に貪られていた。下半身の服を剥ぎ取られ、合皮のソファの冷たさが尻に沁みる。
「ん……有沢ぁ……」
 舌と唇でやわやわとペニスを食まれ、南野は甘い声をあげる。溢れる快感が心地良く、そこに渦巻く欲望に身体を侵された。
「好きな時にイっていいですよ」
 そう促されたが、ペニスは相変わらず有沢の口の中にある。何度かそこに吐き出し、飲み込まれてしまった事もあるが、そうさせるのは申し訳なかった。
 その口から逃れようとずりあがっても、腰を両手で掴まれて元の位置に戻され、ペニスは更に深くまで銜え込まれる。
「あっ……やぁっ……」
 かぼそい嬌声が溢れ部屋に響く。両腕で顔を覆って羞恥と快楽に耐える。
 軟体動物のような濡れた舌はペニスの裏筋をさわさわと舐め、先端をつついてはそこから溢れる先走りの液体を広げるように塗りつけた。
 耐え切れない絶頂の嵐が南野の腰を支配する。
「有沢っ……!イく……!」
 がくがくと腰を振って有沢の舌にペニスを擦りつけてしまうのは本能的なもので、無意識だった。服を纏わない足先をぎゅっと丸め、精道を駆け抜けるその感覚に息を詰める。渦巻く欲望は白濁の液体となり、至極の快楽をもたらした。
 そして、有沢がその液体をうまそうに喉を鳴らして飲むものだから堪らない。
 あんな液体を有沢に飲まれてしまったという事実は羞恥となって南野に襲いかかり――知らず知らずのうちに征服欲を満たす。
 全てを飲み込んだ最後に、竿の中に残っていたものを吸い出そうとするかのように吸われ、南野はぶるりと身震いをした。
「ごちそうさまでした」
 南野が有沢の下腹に視線を遣れば、相変わらずそこは服を持ち上げて張りつめていた。
 有沢に触られる事はあっても、有沢を触った事はない。いつもこうして一人で絶頂を極め、有沢は自身に宿った欲望は一人で処理をしていた。
「あのさ……」
 昂っているそこを見詰めながら南野はおずおずと口を開く。
「俺も、触っていい……?」
 その意味に気付いたのか有沢は視線を泳がせ、頬が紅色に染まった。そして顔の前で手をぶんぶんと振りながら慌てた様子で言う。
「いっ……や、いやいや、そんなっ、南野さんに無理はさせられないですからっ……!それはほら、触って頂けるならそれはそれでこの上なく幸せなんですがでも、俺触れるだけで大満足なんで……!」
 と、勢いよく捲し立てる有沢に圧倒されながらも、南野はそれに負けまいとその腕を両手で掴み、ほんの少し大きな声を出した。
「無理なんかしてないって、俺も有沢の、触りたい。……他の男のなんて初めて触るから、うまくできないかもしれないけど……」
 後に続く言葉はとても小さな声で、付け足すようにして言った。
 南野が掴んだ腕は迷ったように宙を彷徨い、けれど南野の真剣な瞳に気づいたのか、やがて諦めたように力を抜く。
「なっ……なら、お願いできますか……?もし途中で気分が乗らなくなったりしたら、やめて頂いて大丈夫なんで」
 納得した南野はにこりと笑って頷いてみせた。
 南野は自身の寛げた衣服を整え、今度は有沢をソファに座らせる。南野は床に跪いてその足の間に入り込み、顔前に男の股間がやってくるようにした。
 デニムパンツは限界まで膨らみきっていて、その中がどうなっているのこ容易に想像がついた。緊張を誤魔化すためにごくりと唾を飲む。
「……南野さん……」
 カチャカチャと音を響かせながらベルトを緩め、デニムのジッパーを下げる。するとすぐに下着が顔を出す。
 そして、隙間からは成長しきった男根が現れた。
 今まで銭湯だったりで他の男の性器を見る機会はあったが、こうして勃起したものをそれもこんな目の前で見るなんて初めての経験だった。
 よく見慣れた自分のものより少し色が濃く、カリ部分の開き具合や竿の反り方も違う。先端の蜜口からは透明の液体が溢れようとしていた。
 羞恥と――僅かな興奮で、そこから目を離す事が出来ない。
「さっ……触るから……」
 そう宣言し、男根へと手を伸ばす。触れたそれは熱く脈打ち、他人のモノを触っているだなんて不思議な感覚だった。
 茂みに覆われた根本から先端の方へ、指で作った輪で扱きあげると、男根はびくびくと震えて頭上からは押し殺したような声が降ってきた。
 自分の手で有沢が感じているのだと思うと、なぜかとても嬉しかった。
 南野はもう片方の手も使い、先端から溢れる蜜を亀頭に塗り広げるにして更に激しく扱きあげる。
「……っく……!」
 恥ずかしくて上を見上げる事は出来なかった。今はただ夢中で目の前の男根に快楽を与えようと躍起だった。
 初めの方こそ戸惑っていたが、同じ器官を持つ南野は自身を触る時と同じように手を動かし、脈打つ男根を責め立てて快感を引き出す。
 有沢の手が南野の肩をがしりと掴む。快感を堪えるためか、その指先には力がこもっていて南野のシャツをくしゃりと乱した。布越しの肌に爪が食い込んで僅かに痛む。しかし、今はそれさえも嬉しかった。
 南野が扱けば扱く程、目の前の男根はびくびくと震え快感を訴えるのだ。それから南野が何度か擦ったところで――有沢は限界を訴えた。
「み……なみのさっ……イッちゃう……!」
 切羽詰まったその声にとどめをさそうと動きをはやめ――身体を震わせて息を詰める有沢は絶頂を迎える。
 快感の証である白濁の液体は次から次へと溢れかえり、南野は慌ててティッシュをとって液体を受け止める。白濁はその柔らかいティッシュにじんわりと染みを残し、独特の青臭い香りが部屋に広がった。
 はぁはぁと肩で息をする有沢は鼻をすすり、視線を伏せる。その頬は相変わらず赤く染まっていた。
「なんか、……南野さんに見られてると思うとすっげー恥ずかしいんですけど……」
 処理を終えた南野は汚れたティッシュをゴミ箱に投げ入れ、手早く身支度を整えた有沢の隣へ座り直す。
「有沢、かわいかった」
 そんな有沢をの羞恥を更に煽るかのように、南野はにやにやと厭らしくわらった。
 快感に身悶える有沢を見てそう思ったのは事実だ。同性である有沢が快感を堪える姿はなんとも魅惑的だった。
 同性愛に対して理解はあれど、実際に同性の性器に触れ、こんな感情を抱けるとは思っていなかった。そんな自分に戸惑いながら隣の有沢へと体重を預ける。
 今まで意味もなく守ってきていたものが壊れていく。守り通してきたものに呪縛はあれど――意味はない。南野がそこに見出していた意味は他人からはどうでもよくて、幻のようなものだ。
 確かに存在したはずの彼女に、もう手は届かない。今も愛しているはずなのに、その感情は日に日に揺らぎつつある。
 夏は終わり、秋がやってくる。何もしなくても時は移ろい、形あるものはその移ろいにつれて形を変えてゆく。それが、自然の摂理だった。
 変わりたくないと願っていたとしても、もう留まる事はできなかった。
 有沢に注がれた想いで満たされた心は、手の届く誰かを愛したいと願っていた。
 相反する二つの想いは戸惑い揺らぎ、明日を望んだ。
 今はただ、隣に感じる有沢の体温だけが道標だった。
「ホットケーキ、食べます?生クリームとアイスも用意してますよ。あと、イチゴジャムとチョコシロップもありますけど」
 有沢はそう言って南野の髪をくしゃくしゃと撫で回す。
「食べる。んーじゃあ、生クリームとバニラアイスとチョコシロップが欲しいな」
 その味を想像するだけで唾液が溢れてくる。甘いものを食べるという行為は南野が幸福感に浸れる貴重な時間だ。それに、有沢の腕も回数を重ねるごとにあがってきていて、ここ最近の生クリームの繊細さは抜群によかった。
「わかりました。用意してくるんでちょっと待っててくださいね」
 キッチンに向かった有沢を見送り、南野はひとりソファに残った。


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