溺れる事は簡単で、故に難しい。
第十二話
 その日の休日も、南野は有沢の家に誘われていた。今日は酒を飲みながら映画を見たいという有沢につきあって、有沢の自宅でDVDを見る手筈だ。
 空は橙色から濃い紫色へのグラデーションを作っている。夏の終わりの夕暮れは思わず目を奪われる色彩に包まれて、どこか切なささえ感じる。
 有沢の自宅までの道のりももう覚えてしまった。電車をおりて駅から出ると最寄りのコンビニで酒を買い込み有沢の部屋を目指す。駅からは徒歩で五分と少しくらいだ。玄関チャイムを押してドアノブを回し、ドアを開ける。有沢は南野が来る前には料理の仕込みに忙しい事が多く、到着時間に備えて鍵を開けてくれている。不用心だとは思うが、鍵を開けっ放しになっているのは精々三十分といったところだろうか。
「いらっしゃいませ」
 ジーンズとTシャツという有沢の私服も随分と見慣れた。いつもと同じエプロンを着けた有沢は、首だけで振り返って南野の方を見る。
「よっ」
 片手をあげて軽く挨拶をし、キッチンの隅に買ってきた酒を置いてベッドのある方の部屋へと移動した。
 テレビの近くには今日見るためのものであろうレンタルDVDが何本か無造作に平積みされていた。
 ソファに座ると、ちょうど料理が終わったのかトレイに作りたての惣菜がのった皿やコップをのせた有沢もやってきた。
「映画、何見んの?」
 映画を見たい、という話を聞いているだけで、具体的に何が見たいのかという話は聞いていない。
「えーっと、南野さんが何見るかわからなかったんで、洋画のアクションとホラーと二本ずつくらい用意してます。その中から好きなもの選んでもらって、一本でも見られたらいいかなーと思って」
 そう言って、有沢はテレビの近くに積んでいたDVDをとって見せた。DVDのパッケージはレンタル店のもので、各々に映画のタイトルとバーコードが書かれたシールが貼られているだけでどれも違いはない。
 映画のタイトルは、ここ数年で公開されたものばかりのようで、知っているタイトルばかりだ。けれど、どの映画もまだ見てはいない。
「あー……、どれも見た事ないし、どれでもいいよ。有沢の観たいものが見たい」
 そう言って、南野は言葉を濁した。
 正直なところ、映画にはあまり興味がない。テレビや雑誌で見かけて気になる事もあるが、わざわざ映画館で見たいと思う程でもないし、今日のように誘われれば映画も見るが、そもそもレンタルDVD店の会員ではないので、南野が自身で借りる事はできない。
 映画を見たいと言ったのは有沢なのだし、有沢の観たいものを見る方が賢明であろう。
「うーん……じゃあ」
 有沢は眉を八の字に寄せ腕を組んだ視線を彷徨わせ、パッケージそれぞれに這わせている。
「ホラーとかどうです?これ、洋画なんですけど、街に死者と生者が混在しているって設定らしくて」
 と、有沢が指差すものを「おっけー」と、間髪入れずに答えた。
 どうでもいいわけではないけれど、何でもよかった。深いこだわりがないだけだ。
 テーブルの上に惣菜と、南野が買ってきた缶ビールをコップに移し乾杯をする。テレビのスイッチを入れてDVDを再生させる。カーテンをしめて、部屋の照明も落としてしまう。
 有沢が作ったのはちくわにチーズを詰めたものと、鮭のみそ焼き、それに何種類かの漬物だった。映画を見ながら食べる事を想定してか、冷めても美味しく食べられるものばかりだ。
 吹き替えはオフにして、日本語字幕をつける。隣に有沢の温もりを感じながら画面に見入る。洋画のホラーと言えば「怖い」というよりも「驚く」事の方が多い。事あるごとに有沢の身体も、そして南野の身体もびくりと揺れ、その度に顔を見合わせて笑った。
 缶ビールを飲み終えて、次は日本酒に手をつける。
 徳利も有沢の家にはあったがそれを使うのは面倒で、いつも瓶からお猪口へ直接注いでいた。
 ビールよりもアルコール度数の高い液体が舌に沁みる。
 ふと、有沢の手が肩に回された。南野はほんの少しだけ迷って――お猪口を手に持ったまま、隣に座る有沢に体重を預ける。添えられていただけの手が抱く様な動きに変わった。
 画面を見詰めたまま、何も言わずにただお互いの体温を感じている。南野の酒がなくなる度、有沢は酌をした。
 有沢が酌をしてくれるから、という理由もあるが、湧き上がる緊張を誤魔化したいという気持ちもあったのか、知らず知らずのうちにいつもより多く酒を飲んでしまっていた。
 だから、映画を一本見終わる頃には頭がぼーっとする程度には酒がまわっていた。と言っても、意識ははっきりしている。ただ、強い眠気と全身の倦怠感がある。
「――さん」
 有沢の呼びかけがどこか遠くから聞こえるような気がして、落ちてしまいそうになっていた意識を浮上させる。
「ちょっと飲み過ぎちゃいました?横になっていいですよ」
 そうして有沢は南野の肩を抱いた腕を寄せる。そう促されるまま、南野は有沢の膝の上へ上体を預ける。
 飲み過ぎた酒が全身をまわり、頭の芯が痺れる様に疼いた。
 有沢の腕は絶えず南野の髪を撫で続け、それが心地良い。とろんとした一定のリズムは優しく眠気を誘う。
 南野が現実と夢の狭間に落ちようかという頃、その手は髪から滑って頬を撫で、唇に触れた。男の指はよく水仕事をするせいか少しだけガサついていて、酔って火照った身体に心地良いくらいに冷えている。
 指が唇をふにふにと弄ぶ。――抵抗はしなかった。夢現で唇に触れるそれは麻薬の様に甘い。酒と眠気、それに唇への刺激は、ミルクが渦巻く甘いカフェオレのようだ。ぐるぐるぐるぐるまわって、溶け落ちる。
「キス、してもいいですか」
 だから、その声にも頷いてしまったのも仕方のない事だった。
 有沢は背を丸め、膝を枕にしている南野にゆっくりと唇を落とす。指とは違う柔らかな感触が押し付けられる。
 何度も触れるだけのキスを繰り返し、その唇の感触を楽しんだかと思うと、今度は唇を割って舌が侵入してきた。
 うねうねと蠢く軟体動物かのようなそれが口腔を擦っていく。程良く撫で回され、刺激は電流のように背筋を這い、身体の中心へ向かっていく。
 南野の頬を支えていた手が、徐々に下へと滑る。
「ん……」
 顎から喉へ、喉から胸元をシャツの腕から撫でられて、南野は吐息を漏らす。まるで羽毛のようなタッチのそれはくすぐったく、狭いソファの上で身を捩った。
 脇腹を滑った手はシャツの裾を捉え、その中へと侵入する。口腔を侵されながら冷たい指先の温度を感じ、自身に覆いかぶさる有沢の肩を慌てて押し返す。
「ありさ……」
 南野が押し返した事で互いの唇は唾液の糸を引いて離れた。
 いくら酔っていようども、まだ男を受け入れる勇気はない。――まだ、彼女以外の誰かと愛を紡ぐつもりはない。
 欲情に濡れた有沢の視線が絡んで、背筋が震える。自身の頭の横にある有沢の中心は心なしか熱を帯び膨らんでいる気がする。
 恋心を持つという事は、その相手に欲情するという事でもある。子孫を残すために人間が培ってきた本能で――その本能が実を結ぶかどうかはまた別として、有沢が南野に欲情するのはごくごく当たり前の自然の摂理に違いない。
 それをわかっていなかったわけではない。成人した男なのだから、誰かと付き合うという事はそういった行為も含まれるのだろうと覚悟はしていた。
 けれど、実際に自分が欲望の対象となるという事がどういう事なのかは今、はじめてわかった。
「南野さん、好きなんです」
 愛欲にうかされた声が囁く。
 逃げようともがいた手を捉えられ、じっと瞳を見詰められる。手はそこまで強く握られているわけではない。振り払おうと思えばいつでも振り払える強さだ。
「ダメ……だって」
 いつも流されてばかりでも、今回だけは流されるわけにはいかない。
 男同士の恋愛に抵抗はない。男同士でのセックスにも抵抗があるわけではない。しかし、今この場で――まだ彼女への想いを抱えている状態で有沢に抱かれるという事が怖かった。
 それなのに手を振り払えなかったのはなぜだろうか。
 無言の攻防の末、有沢は再び口を開いた。
「触るだけでもダメですか……?」
 何も答えられず、下唇を噛み締める。
 それを受け入れてしまえば、そこから先も、またいつぞやのように流されてしまいかねない。
 視線を彷徨わせて言葉を探す南野に畳みかけるように有沢は更に言葉を紡いだ。
「本当に触るだけです。それ以上は何もしません。それ以上は何も求めないです。南野さんの、触ってみたいです」
――有沢が嘘をついたことは、今までに一度もない。いつだって誠実で優しかった。
 有沢の隣は心地良く、幸せだ。けれど、南野の中にはまだ彼女がいる。愛してやまない彼女がいる。それなのに有沢に、例え触るだけだとしても身体を許す事は、どちらに対しても不誠実なのではないか――。
「お願いです。南野さんは、何もせずに目を閉じてるだけでいいですから」
 真剣な瞳はどこまでも真っ直ぐに南野を見詰めてくる。彼女を想い続けながら有沢に気を取られているような南野とは大違いだ。
 抱く罪悪感は苦く身体を痺れさせる。どうしようもなく駄目な己自身を実感して、絶望に染まる。
 再び落ちてくる唇を大人しく受け入れる、それが合図だった。
「――はっ」
 有沢はソファに横になった南野の上に覆いかぶさった。二人掛けのソファでは南野の身体も乗り切らない。頭から太ももの途中までしか座面は足りず、膝を折って床に足をつける事で身体を支えていた。
 シャツをたくしあげられ、臍から胸元に咲いた薄桃色の突起までが冷えたエアコンの風に晒される。
 恍惚に満ちた表情の有沢は、それまで南野が見た事のない類のものだった。欲望を秘めたその瞳が怖いとすら思える。
「南野さん、綺麗です」
 言いながら、乳首にちゅっと音を立ててキスをした。
 男でもそこが性感帯になり得ると知っていても、実際にそこをいじった事はない。南野はどちからと言えば性に対して淡泊な方だ。
 ねっとりと、濡れた舌が粒を押し潰し、南野は漏れそうになる声を殺す。快感というには物足りず、しかし、くすぐったいというには未知の熱を秘めている刺激だった。
 小さな粒を舌で弄びながら、もう片方は冷たい指が遊ぶ。
「ひっ……」
 爪の先で弾かれて、僅かな痛みが走る。じんわりと、刺激が電流のように駆け抜けて身体の中心に集まっていく。
 有沢はそうして何度も何度もキスを落としながら、南野の太ももの間についた膝をぎゅっと上へと押し付ける。
「ありさっ……」
 そうされると身体の中心部にある陰茎が有沢の太ももに刺激されて――意識してしまう。乳首の方から流れて来る怪しげな感覚はそこに流れ込み、有沢を感じる。
 身悶えると自身で押し付けるようになってしまい、どうする事も出来ず身を強張らせた。
 自分の上に有沢がいて、その有沢に身体中を触られているなんてとても現実だとは思えなかった。
「ちょっと勃ってきました?」
 胸元から上目づかいで問われ、南野は頬を赤く染める。
「ん……」
 そして、その間も有沢の足の動きはとまらない。硬さを持ち始めた陰茎をごりゅごりゅと刺激され、久しぶりに与えられる他人からの刺激に興奮は増していく。
 ソファをおりた有沢は開いた南野の足の間に入り込むと床に跪いた。
 ガチャガチャと金属音を立てながらベルトを外されて、羞恥に身を強張らせる。下着ごとジーンズを膝までおろされ、性器が露出した。
「ありさわ……」
 恥ずかしくて顔を手で覆った。有沢の視線はまるで針のようで、そこに視線が集中している事を痛い程に感じる。
 半勃ち状態のそれがみっともなく有沢の眼前にあるのだと思うと、思わず泣きそうにもなってしまいそうだ。
「南野さんのおちんちん、綺麗ですね」
 それなのに、有沢はわざと羞恥を煽る風に言うのだから堪ったものではない。南野はただ唇を噛み締めて耐えるしかない。
「おっきくなってくれて嬉しい」
 そうして有沢は恭しく南野の陰茎を両手で掬うように持ち上げると、先端にキスを落とした。
「なっ……触れるだけって」
 抗議のために暴れようとしたが、膝に服が引っ掛かってうまく動く事が出来なかった。上体を起こそうとすれば急所でもある男性器をぎゅっと握りしめられて力が抜ける。
「触れて、舐めるだけです」
 そう言って、有沢は先端を口に含んだ。
「ひぁっ……」
――ここ数年、自慰もあまりしていない。したとしても、ただ性欲を処理するだけの簡素なものばかりだ。もう触れられない彼女を想っているうちに自然と即物的な欲求から遠ざかってしまっていた。
 温かく濡れた粘膜に包まれて、南野の雄はあっという間に成長してしまう。
「また、おっひくなりまひたね」
「ありさわっ……それやめっ……」
 咥えたまま言う有沢の口内に刺激されて、乳首を刺激された時とは違う明らかな快感に身悶える。そのままじゅぶじゅぶと音を立てて裏筋を舌で刺激されて、その快感を堪えようと拳に力を込める。
 身体中の血液がそこへ集まってくるかのようだった。
 このままでは絶頂を迎えてしまう時ももうすぐだ。――それは、あまりにも早すぎる。
「離しっ、て……!」
 南野にだって男としての矜持がある。いくら久しぶりだったからと言って、まだ咥えられてから数分も経っていない。
 自身の股間に顔を埋める有沢の髪に両手を遣り、離そうと押し返してみるがびくともしなかった。それどころか南野の陰茎を思い切り吸い込んだまま顔を前後させ、唇と口腔の粘膜で刺激するのだ。
「やぁっ――――」
 南野が、堪えられるはずもなかった。
 せめて有沢の口以外で、と最後の力で思い切り頭を押してみたが、有沢に腰を抑え込まれて動く事すらままならなかった。
 そのまま――有沢の口に自身を挿入したまま、快感の証をぶちまける。
 身体全体が心臓になってしまったかのようにどくどくと震え、他人に強制的に高められた快感は頭が真っ白になって何も考えられなくなる程に深かった。
 そして、有沢は口内に出された南野の液体を喉を鳴らして全て嚥下し、最後にもう一度ペニスに吸い付いて精道に残ったものも全て吸い取った。
「はっ……はっ……」
 肩で荒い息をしながら快感の余韻に浸っていると、有沢はようやく陰茎から口を離す。
「ごちそうさまでした。はやかったですね。溜まってました?」
 おちゃらけたような口調で有沢が言って、南野はそれを恨めし気に睨みつけた。
「なんで飲むんだよっ……」
 そんなものを、男の精液を飲むなんて考えられなかった。あの白濁の液体が有沢の口内から食道を通って胃に落ちたのかと思うとどうしようもない焦燥感に襲われた。
「南野さんの、美味しかったですよ?」
 けれど有沢は的外れな答えを返し、はティッシュを手渡して立ちあがる。
「あ、おいどこ行くんだよ」
 そのまま部屋を出ようとした有沢に南野は慌てて声をかけた。すると、有沢は不思議気に振りかえって首を傾げる。
「どこって、トイレ行くんです。触るだけって約束でしたし、かと言って俺もこのままじゃちょっと辛いですし」
 そう言われて有沢の下腹に目をやると、そこは遠目にもわかるくらいに窮屈そうに膨らみきっていた。
 申し訳なさと、それを上回る羞恥で視線を伏せて床を這わせ、小さく「いってらっしゃい」と、呟く事しかできなかった。


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