溺れる事は簡単で、故に難しい。
その後のお話し―2015年ハロウィン―
 窓の向こうでは空が明るさを取り戻し、小鳥の囀りたちが宙を舞う。
 澄み切った空気は辺り一面に広がってこれから始まる一日に花を添えた。
 いつもと何も変わらない休日の早朝が始まる――とは言えど、覚醒はしていない。
 日々疲れた身体はまだベッドの中で惰眠を貪っていて、今が早朝だ、と認識しているのは僅かに目を覚ました脳の一部だけだった。
 しかし、その一部もまたすぐに眠りに落ちる。
 今日は休日で思う存分睡眠を味わえる日だからだ。
 時間などというものには一切束縛されず、己の気の済むまで欲望を果たす事ができる――。
 有沢が再び眠りの深淵に臨もうかというその瞬間、身体に衝撃が襲った。
「有沢ー!おっはよー!」
 トラックがノンブレーキで突っ込んできたかのような勢いで飛び込んできた南野を受け入れたベッドは、スプリングを派手に軋ませて有沢と南野の身体を跳ね上げる。
「あっれー?有沢ー、起きろよー」
 そんな衝撃があれば目を覚まして当然なのだろうが、有沢は頑なに睡眠を強行する。
 仰向けに寝転んだ有沢の腹の上に馬乗りになる南野から逃れようと、身体を覆う掛け布団を引っ張って顔まで潜ろうとするが南野が乗っているせいでぴくりとも動かなかった。
 それならば、と仕方なく呻いてみじろぐ。
 実はと言えば意識は既に浮上していて、ここがどこで今は何をしているのか、まできちんと把握していた。
 だが、それを認めてしまう事でこの睡眠という幸せな時間が終わってしまうような気がした。
「有沢、朝だぞ遅刻するぞー」
 南野はなおも、有沢の腹の上に腰を下ろしたまま有沢に声をかける。
 前のめりに身体を倒し、顔をぎりぎりまで近付けてふとすれば額が触れあってしまいそうだ。
 重い、とは思わないが、ウザい、とは思う。
 空はまだやっと太陽が顔を見せたばかりで、ほんの数十分前まで深夜と言って差し支えない時間だった。
 本来、休日とは昼をまわるまで、出来れば夕方まで惰眠を貪るものだと思っている有沢にとって、こんな時間に起こされなければならない理由が見当たらない。
「……騙されませんよ。もうちょっと、寝かせてくださいよ……」
 眠さで朦朧とする意識の中、自身を覗き込む有沢をそれとなく両手で押し返すように腕を突っ張った。
 休日を平日だと言い張って覚醒を促すのは常套手段とも言える。しかし、待ちに待った休日を有沢が間違えて覚えているはずもない。
 そこまでして起こしたいだなんて一体、何事だろうか――。
 そんな考えが脳裏をよぎる。
 有沢が休日は足りない睡眠を補うためのものだと考えているように、南野も同様だったはずだ。
 実際に確かめた事はなかったが、この数か月の同棲生活では休日の度に二人で心行くまで睡眠に身を沈めた事を記憶している。
「ダーメ。起きろよ」
 しかし、南野はそんな気配を微塵も見せず、覚醒を要求した。
 いくら職場の先輩であっても、いくら愛しい年上の彼氏であっても、休日の早朝に叩き起こされる謂れはない、そう思いながらでも渋々瞼を開いてしまうのだから、有沢の弱いところだった。
「……一体、なんですか」
 声は不機嫌そのもので、地を這うような低音だ。
 まだ寝たりないせいか身体には倦怠感が纏っている。
「トリックオアトリート!」
 そんな有沢の心中を知ってか知らずか、南野は元気よく声を張り上げた。
 はちきれんばかりの満面の笑みを浮かべて、瞳はキラキラと夜空を映したスクリーンのように輝いている。
「はぁ……?」
 一方、そんな瞳を向けられた有沢と言えば、わけがわからないと眉根を寄せていた。
「ああ……ハロウィンですか」
 だが、すぐに気付いて深い溜息と共に言葉を漏らした。
 本日は十月三十一日、世間ではハロウィンと呼ばれる日だ。
 ここ数年メディアでも大々的にとりあげられ、十月ともなれば全国各地の若者たちはこぞってハロウィンパーティーをしているらしい。
「お菓子をくれないと悪戯するぞ!」
 南野はそう言って、有沢に手のひらを差し出した。
 生憎な事に有沢と南野は若者、と言える程に若くはない。
 まだぎりぎりで二十代なのだから若いと言って言えない事はないが、ハロウィンに馴染み深い年代ではなかった。
 日々を仕事に忙殺される、ただのサラリーマンにすぎない。
「おやすみなさい」
 有沢は差し出された手のひらをぺいっ、と軽く叩いて瞼を閉じた。
「えっ!?なんでだよ!起きろよ!」
 けれど、南野はそれを許さない。
 再び掛け布団を顔まで被ろうとする有沢から掛け布団を強引に取り上げる。
「……寝かせてくださいよ、俺昨日の帰り残業あって終電だったの、知ってますよね?」
 眠りを妨げる行為、それは即ち敵対行為となる。
 有沢は機嫌が悪いことを隠そうともせずベッドの上で身体を丸めて南野をキッと睨みあげた。
 明日から十一月になるというこの日、気温は程よく低く寝起きの身体は部屋の冷たい室温に微かに震えた。
 昨夜の帰りは遅かった。――昨夜の帰りも、遅かったというべきか。
 有沢自身、自分の能力が足りないために残業をしなければいけないのかと悩む事もあったが、どちらかと言えば企業体質によるところのものが多いのだろう。
 仕事は容赦なく次から次へと舞い込んでくるもので、捌ききれなければ残業をしてでも捌かなければいけない。
 普段なら無理な残業をするほどでもないのだが、今のこの時期は忙しく、やや事情が違った。
「知ってる。っていうか、俺も一緒だったし」
 南野はそれがさも当然であるかのように何ともない顔で答える。
 年末進行を目前に控えて部署内は徐々に殺気立ってきていた。
 有沢と南野もその例外ではなく、今からしなければいけない仕事が天高くそびえ立っている。
「じゃあ寝かせてください」
 そう言って瞼を閉じかけるも、南野は寝転ぶ有沢の胸元に両手を置いて揺さぶるものだからとてもではないが眠れない。
「寝るなって!せっかくのハロウィンなんだから何かしよーよ!」
 南野がこうして聞き分けがないのは珍しい。普段――イベントごとにうるさいのは有沢の方である。ハロウインにはさして興味はないが、クリスマスや誕生日には寝る間も惜しんで料理を作ってプレゼントを用意し、面倒臭がる南野を引きずり回すのだ。
 それがこと本日のハロウィンに限っては南野ばかりが先走っている。
 有沢は眠い目を擦ってため息を吐いてから、ようやく上体を起こす。
「はぁ……何かって言われても、何がしたいんですか……?」
 南野がハロウィンに何かしたいのだと知っていれば有沢だって事前に用意していたが、昨夜までは今日のハロウィンに言及すらしていなかった。
 それに残業の疲れもあいまってハロウィンパーティーという気分でもない。
 それでも、頼まれれば嫌とは言えないあたりが惚れた弱みだろうか。
「なんでもいい。かぼちゃプリンとか、かぼちゃグラタンとか、かぼちゃを甘く煮たのとか食べたい」
「……南野さんもしかしておなかすいてます?」
 ハロウィンに何がしたいのかを訊いたのであって、食べたいメニューを訊ねたわけではなかったはずだ、と頭を抱えた。
 南野は「えへ」と、わかりやすい作り笑いを浮かべてみせる。
「なんか目が覚めたら腹減って眠れなくてさ」
 有沢は再度、深く長いため息を吐いた。腹の底の空気を全て吐き出してしまうかのようなため息だった。
 南野の食欲への、特に甘いモノへ執着は物欲の深い有沢だって驚いてしまう程の時がある。
 ハロウィンに興味を示したのは、つまりお菓子が食べたいという事なのだろう。
「おなかすいたならカップ麺ありますから適当に食べててくださいよ……。俺、もうちょっと寝たいです。本当に疲れてるんです」
 やれやれ、と首を左右に振りながら、南野の下敷きになっている掛け布団を思いきり引っ張る。
 先程と違い、今は上体を起こしている事もあって有沢が被る程度の余裕は取り戻せた。
「やだ。カップ麺なんて気分じゃねーし、今は甘いモノが食べたい」
 南野はやや頬を膨らませてそう言った。
 まるで子供のようだ。
 恋人という関係になってから、南野のそんな態度が見られるようになって、有沢は心の浮き上がる気分だった。
 心を許されている。
 そう思うと南野を抱きしめたくてためらなくなる。
「甘いモノ、ですか。あとで作ってあげるんであと何時間か寝かせてください」
 だが、それとこれとは別の話だ。
 今の有沢にとって睡眠による疲労回復は何よりも優先すべき事項に設定されている。
「はぁ……お菓子たべたかった」
 ぼそりと呟かれたそれは、紛れもない本音なのだろう。
 大の甘党の南野にとってこのイベントは逃したくないものだったに違いない。
 しかし、南野だってものわかりの悪い方ではない。日夜仕事で忙しいのは南野も同じだ。
 再び寝転がった有沢の胸元まで掛け布団をかけなおして整えた。
「お菓子をくれないとイタズラするぞー」
 今度は、先程とは違ってそれが本気ではないと読み取れる調子で、南野は茶化すように言った。
「イタズラなら大歓迎ですよ」
 掛け布団に潜り込みながら目だけで笑って見せると、南野の目もまた笑っていた。
 有沢が視線だけで促すと、南野は掛け布団の中へと滑りこんできた。冷たい空気と熱い体温が混ざり合い対流を起こす。
 掛け布団を大きく動かしたことで室内には塵が舞い上がり、それを朝陽がキラキラと照らして部屋を彩る。
 その輝きに視界を奪われながら、有沢は南野の頬に手を伸ばす。
 部屋が冷えているせいか南野の頬もひんやりとしていた。
 サラリとした滑らかな肌と冷たさのその下にある血流を感じながら、どちらともなく唇を寄せる。
「ん……」
 触れた唇はもう何度感じたものだろうか。
 初めてキスをしたあの日から、初めて心を惹かれたあの日から、有沢にとってなによりも大切なものになった。
 ふわりと柔らかく、ふとすればかみちぎって自分のものにしてしまいたくなる。
 抱き締めてもう離さない、とどこかへ鍵をかけて閉じ込めてしまいたくなる。
 愛おしくて、大切な人だった。
「有沢……!」
 息継ぎをする暇も与えず、南野の口内を貪る。
 混ざった唾液を飲み下し歯列を撫でては舌を絡め思いの丈をぶつけた。
 知らず知らずのうちに、二人の両手は指先を絡め合い互いを求めていた。
 シャツ越しに身体を撫で、血肉の動きを感じる。
 身体の中心部に腕を伸ばすと、そこは既に反応を示していた。
「あっ……」
 部屋着であるパンツのゴムの隙間から腕を挿し込んで握り込むと、南野の腰はびくりと跳ねて甘い声を漏らす。
「有沢っ……!イタズラすのは俺なんだから、お前は大人しくしてろ」
 どくどくと、そこを熱く脈打たせながら南野はにやり、といやらしく笑った。
「……南野さんがイタズラしてくれるなんて珍しーですね」
 南野の手も、有沢の服の中へと侵入を果たす。
 南野の素肌に触れる事に緊張はないのに、南野に素肌へ触れられるのは僅かな緊張が伴った。
「っ……!」
 指先が男性器をとらえその輪郭を辿るように指先が舞う。
 触れるか触れないかの強さで触れられたそこは、くすぐったさと確かに混じる快感の種に期待を膨らます。
「南野さん……」
 目の前にある恋人の唇を啄む様にキスを落とした。
「ありさ、ん……」
 互いの男性器に触れた状態でキスを交わすと、甘い愉悦はいつもより香りを増すようだ。
 それなのに南野は空いた方の手で有沢の手を引きはがした。
「俺に、させて……?」
 声が上擦っているのは興奮のためだろうか。
 色欲に濡れた瞳で見詰められて、有沢が断れるはずもない。
 有沢が静かに頷くと南野は、先端からとろりとあふれ出た蜜を竿に擦りつけ、手のひらで輪を作って愛撫を開始する。
 方法自体は普段一人でする自慰と大差がないはずなのに、その手が南野に置き換わっただけで腰から下が崩れ落ちそうな快感がある。
「み……」
 ふと視線を落とせば南野は自らの指を口に咥え、唾液で濡らしていた。
 南野の薄い唇を出たり入ったりする、濡れて光を反射する指は有沢の情欲を刺激する。
 やがてその指は掛け布団の中へと消えていき、姿をくらませた。
 だが、南野の表情を見ていれば何をしているのか大体の事は察する事ができた。
 険しく眉根を寄せたかと思うとほっと息を吐いて力を緩める。下唇を噛んで頬を赤らめ、出そうになった声の代わりに熱い吐息が吐き出される。
 南野は有沢の性器を扱きながら、自らの後孔を指で解していた。
「んぁ……」
 男性器を受け入れられるように狭い孔を広げ、ついでに感じる場所にも触っているようだ。
 びくびくと肩を揺らし、切なげな声を漏らす。
「南野さん……」
 この行為をはじめてまだあまり時間は経っていない。
 それなのに有沢のペニスが限界まで張り詰めているのは、南野のそんな姿を見せつけられてしまったからだ。
 南野が身体を起こすと、二人の身体を覆っていた掛け布団はするりと滑って床へ落ちた。
 興奮のせいか互いに体温があがっていて、肌にはうっすらと汗が浮かんでいる。
 南野は自身に纏う服を脱ぎ捨てながら、仰向けになった有沢へ馬乗りになった。
「騎乗位、はじめてかも」
 そう言って俯いた南野の頬は耳まで真っ赤になっていた。
「……期待してますよ」
 有沢が声をかけても顔をあげず、かぶりを振って行為を続行する。
 片手で有沢の男性器を支え、自らの後孔にあてがい腰を沈めていく。
「ん……」
 慣れた身体はずぶずぶと抵抗なくそれを飲み込んでいった。
 南野は時折新鮮な空気を求めて息継ぎをするように大きく呼吸をする。
 有沢はそんな南野をつぶさに観察していた。
 勃起して蜜を零すペニス、体内に飲み込んだ男性器のせいで微かに揺らぐ細い腰、快感に浸っているのか震える肩、汗に濡れた額、南野の全てが見えている。
「すっげぇ、いい眺めですよ」
「ひっ……!」
 軽く腰を突き上げながら素直な感想を述べると、南野はぐっと下唇を噛み締めた。
 なにか反論しようとしたらしいが、快感に封じられてしまう。
「あり、さわ……!俺が動く、からっ……!」
 愉悦の混じる声で有沢を制止し、既に乱れた呼吸でゆっくりと腰を持ち上げる。
 熱い肉が男根に絡んで擦れ、脳髄に痺れるような快楽を送り込む。
「ぁっ……!」
 再び腰を落とすように男根を根本まで飲み込み、甘い声をあげた。
 満たされていくのは、肉欲だけではなかった。
 互いの肌に触れ、抱き締めあい、愉悦を貪る。
 ふとすれば日常の煩わしさに捕らわれておざなりになってしまう愛情表現を、今この瞬間に続けていた。



「ああああっ……!」
 南野のそんな大声で目覚めた有沢は、ゆっくりと身体を起こして辺りを見回す。
 寝すぎたためか頭の芯がどんよりと重い。
 窓の外はもうすっかり暗くなっていた。
「……どうかしました?」
 そういえば今朝、身体を重ねたあと後始末もろくにせずそのまま眠ってしまった事を思い出した。
 疲れが溜まっていた南野も一緒に、だ。
「時間……!夜……!ハロウィン……!スーパーしまってる……!」
 片言なのはショックの大きさによるものなのだろうか。
「ああ……ちょっと寝すぎちゃいましたね」
 時計の針はもうすぐ日付が変わるという頃を指し示していて、今朝南野にリクエストされていた菓子類は作れる時間ではない。
 普段の休みから考えるとこの時間までは流石に寝すぎだ。
 だが、寝る前に運動をした事を考えれば許容範囲かもしれない。
「なんで起きなかったんだよ!」
 南野に責められても、有沢はきょとんした顔で冷静だった。
「起きなかったのは南野さんもじゃないですか」
 少なくとも、非が有沢だけにあるわけではないからだ。
「……寝るってわかってたらアラームとかセットしてたのに」
 そして、それは南野自身も理解しているらしい。
 肩を落とし勢いをなくした口調で呟いた。
 そんな南野を、純粋に可愛い、と思う。
 会社では絶対に見られない姿だ。
「明日、作ってあげますよ」
 有沢は頬を緩め、南野の手に自分の手を絡めた。
「でも、ハロウィン」
「一日遅れでしましょーか」
 ハロウィンに拘るという事はかぼちゃを使ったものが食べたいのだろう。
 食欲に対して素直なところも、有沢が南野を好きな理由のひとつだった。
 今日一日休めたことで疲れはすっかりとれている。
 これならば明日は南野の期待に応え、朝からハロウィンにちなんだ料理を作る事ができるだろう。
「……明日は、絶対な」
「約束します」
 触れ合った唇で約束をし、十月最後の時間を終えた。


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