おちんちん★らぷそでぃー
※企画モノです。
同一のキャラクターを使用し、それぞれでお話しを書いたらどうなるだろう、っていう企画です!
企画詳細は
こちら
タイトルとお話しは全く関係ないですごめんなさい(企画タイトル付けた人)
夏の空を染める橙色の夕陽は何故か切なく、郷愁を誘う。ため息を吐いて見上げた空に浮かぶ雲は白く薄い。肌に纏うじっとりとした日本の夏特有の湿気が煩わしかった。
「はぁ……」
啓は今日何度目かのため息を吐く。
ベッドの上で身体を起こすと安いそのベッドはぎしりと軋んで揺れた。
八畳程の閉め切った部屋の中に響く程の音が鳴り、同じベッドで眠る恋人を起こしてしまったのではないかと慌てて顔を覗きこむ。
けれど、恋人は起きる気配などなくすやすやと安らかな寝息を立てて眠り続けていた。
安堵半分、つまらなさ半分で、また小さなため息を吐いた。
仕事で疲れているのだからゆっくりと寝かしてやりたい、そう思う反面、一緒にいる時くらい起きていて欲しいと思ってしまう。
それに、ここまで無防備な寝顔を曝け出せるなんて自分が男として意識されていないのではないかと不安にも思う。
付き合い初めて三ヶ月が経とうとしていた。
学生の啓は、八つ歳上の将吾へ惚れ込み猛アプローチをかけた。アパレルショップで働く将吾の元へ、少ない仕送りやバイト代を握り締めて通い詰め、家を突き止めてからは偶然を装って街中で出くわし、他人から知人へ、知人から友人へ、徐々に距離を詰めて遂に恋人の座を射止めた。
順調だったのはそこまでで、それから先にはまだ一歩も踏み出せていない。
啓は将吾の長い睫毛をじっと見詰めた。
今は閉じられている瞼に隠れる瞳はいつも健やかで、優しく笑みを象る。その瞳が好きだった。
狭いシングルベッドで身を寄せ合って眠っていても、まだ口付けを交わした事はない。服の下の素肌へ触れた事もない。
眠る将吾の頬へ指を伸ばしかけ、肌に触れる直前で手のひらにしまい込む。
将吾とは本当に恋人という関係なのかと、よくわからなかった。
土日が休みである学生の啓と、シフト制で働く将吾の休みはほとんどすれ違ってしまう。同じ日に休みが被るなんて月に一度あればいい方だ。
その貴重な休みは必ず一緒に過ごしている。どこか買い物へ出かけたり、映画を見に行ったり、時にはこうして家でのんびりと過ごす事もある。
しかし、恋人と言い切るにはあと一歩足りない。どちらかと言えば友達に近いだろう。
将吾に触れたい、触れて体温を感じ、口づけを交わしたい――その欲求を絶え間なく感じているのに、一方の将吾と言えばそんな素振りは全く見せないのだ。
啓が同じ布団に潜り込んでも、早々にすやすやと安らかな寝息をたて始めるくらいに無防備だ。
恋人として全く意識されていないこの現状が、啓はいささか不安だった。
将吾が拒むのなら無理に事に及ぶつもりはない。
だが、このままずるずると友達の延長線上で留まっているつもりもなかった。
将吾が目を覚ましたのは、夕方と言ってもいいくらいの時間だった。
昨夜は二人で夜更かしをしたわけではなかったが、日頃の疲れが溜まっていたのだろう。
「あ、起きました?」
ベッドが軋み将吾の起き上がる気配を察した啓は、ベッドルームへひょいと顔を覗かせた。
「……おはよ」
将吾は開けたばかりの目を擦りながら啓の方を見る。
啓はエプロンをし、お玉を片手に持っていた。
「……?何か作ってんの?」
「朝ご飯、作ってますよ。食べますよね?」
啓はそう言うと将吾の返事も待たずに言葉を紡ぎ始める。
「ちょっと早く目覚めちゃったんでコンビニで材料仕入れてきて、パンとスープ作ってます。あ、調味料はお借りしました。あんまり凝ったものじゃないんですけど、ちょっと自信あるんで将吾さんに食べてもらいたくて」
わざわざコンビニに行くのならばもう出来上がったものを買ってこれば楽だったはずだが、その辺りは啓のこだわりだった。
一人暮らしを始めてもう長いはずの将吾は、忙しさもあいまってか自炊の類はほとんどしない。
一方の啓は、大学生になってから一人暮らしを始め、まだ三年ほどしか経過していないが、料理をした回数で言えばゆうに将吾を超えるはずだ。
将吾に比べて時間に余裕がある、という理由もあるが、料理は趣味のようなものだった。特別大好き、というわけではないが何でもそつなくこなす啓には何も考えずに楽しくできる貴重なストレス発散方法だった。
そのため、将吾の家の台所を使うのはもっぱら啓ばかりだ。最低限の調理器具や調味料もほとんど啓が買い揃えたと言っても過言ではない。
「あー……ありがと。食べる。起きる……」
まだ半分寝ぼけているのか片言で喋る将吾はベッドから這い出るとリビングに向かい、啓が用意した食事の並ぶテーブルの前に座る。
「お口に合えばいいんですけど」
エプロンを外した啓は将吾の隣に並んで座り、食事を開始する。
白い陶器のスープボウルに入っているのは黄金色をしたオニオンスープで、色付くまで炒められた玉ねぎが香ばしく食欲のわく匂いを漂わせていた。
それに添えられているのは薄切りにしたバゲットに、刻んだにんにくとバターを載せてトースターで焼いたものだ。皿にはレタスとトマトのサラダも盛り付けられている。
「……いただきます」
将吾がそう言ってバゲットをかじるのを見届けてから、啓もバゲットを口へ運んだ。
ガーリックトーストとは言え、接客業である将吾は明日も仕事があり、それを考慮してにんにくはほんの僅か、香り付け程度にしか使っていない。
それでも口の中に広がる風味はにんにく特有のそれで、まろやかに舌に染み入った。
続いて将吾はスプーンを使ってスープに手を付ける。
玉ねぎを飴色になるまで焦げないよう炒めてから煮込んだこのスープは啓の得意料理のうちのひとつだ。
スプーンに載ったスープは将吾の薄めの唇を割り、舌に落ちて喉へと流れる。嚥下する喉仏の動きを、啓は心配そうに眺めた。
味に自信はあったが、その味が将吾の舌に合う自信はなかった。
「……ど、どうですか……?」
料理は好きで、けれど所詮それは趣味の一環でしかない。自分が美味しいと思う味を突き詰めた結果で、人に食べさせるなんて将吾と付き合いはじめてからだ。
「うん、美味しい」
将吾はにっこりと微笑み、啓はほっと息を吐いた。
この数ヶ月の間に何度も料理を披露したが、その度に緊張がある。幸いにしてまだ不味いと言われた事はなかったが、それでも不安はあるものだ。
「よかったです!また作りますね」
ただ一緒にいるだけで人は幸せになれるのだという事を、啓は二十一歳という年齢になってはじめて知った。
「あ、将吾さんたくさん零してる」
その幸せに浸りながら、啓はテーブルを指さした。将吾がバゲットをかじる度にパン屑はぼろぼろと零れて皿から飛び出し、テーブルや将吾自身の膝の上へと散っている。バターの染みたパン屑は部屋着のスウェットパンツに染みを作りはじめていた。
「あー……ごめん、気付かなかった」
「いいですからこれで拭いて」
将吾が情けなく眉をハの字に曲げている間に、啓は布巾を用意して手際よく片付けの準備を進めていく。まるでこの家の主は啓であるかのような光景だった。
将吾は少しのんびりしていると言うのか、咄嗟の行動が出遅れる事がままある。アパレルショップで見ているだけの時はテキパキと仕事をこなしていたように見えたので気付かなかったが、仲を深めていくうちに見える将吾の意外な一面は可愛くもあり保護欲をくすぐられた。
啓から濡れた布巾を受け取り自身のスウェットパンツを拭っていたが、油で出来た染みが水でとれるはずもない。
「洗っちゃいます?その方がはやいと思いますけど」
「ん、じゃあそうする」
じゃあ洗濯機まわしてくるんで脱いでください、と手を差し出しかけて、啓は動きをとめた。
みるみるうちに二人の頬は朱に染まっていく。
身を寄せ合って眠る事はあっても、キスさえも交わしていない。手を繋ぐ事すらまだできていない。
目の前で服を脱いで下着姿になるなど、もってのほかだった。
考えてみれば将吾も啓も小学校からのプールの授業では同性の間で下着姿どころか裸を晒してきていたはずで、今だって銭湯などに行けばその機会もある。
「えっと、俺、その、ここから動かないんで……将吾さん、洗濯機にいれてきてもらえますか?あとは俺がやるんで……」
それなのに、啓にとっての将吾の下着姿とは特別な意味を持つものだ。そして、将吾も下着姿を晒すという事がどういう事なのか十分に自覚しているからこその反応なのだろう。
「わ、わかった……」
将吾はいそいそと立ちあがって洗濯機の置いてある脱衣所の方へと向かった。
啓はほっと安堵のため息を吐く。
近くに感じているのに近づききれない距離感は妙な緊張感を抱いてしまう。もっと近付いて、その肌に触れたいと願っているのにいざそのチャンスを目の前にすると足が竦んでしまう。
――あるいは、自身の欲望に抑制が効かなくなる事を恐れているのか。
今の友達の延長のような関係は心地良く、将吾の隣にいられるだけで幸せだった。だが、もっと先へ進みたいとも思っていた。
肌に触れ、体温を感じ、恋人としての一線を越えたいと思っていた。しかし、いくら将吾を観察してみても実際のところ将吾がどう思っているのかはわからない。
何か行動を起こして二人の関係が壊れて他人に戻ってしまうよりも、今の関係を続けていたいとも思う。
いずれにせよ、進むのなら今しかない、と啓は感じていた。
もしも二人の関係が壊れてしまうとしても、今のやりきれない思いを抱えたままであればいつか啓の方が倒れてしまいそうだったからだ。
着替え終った将吾が部屋に戻ってくると、啓は「おかえりなさい」と声をかけた。
食事はまだ途中だったので、再開する。スープは少し冷めてしまっていたがぬるいという程ではない。
今度は零さないようバゲットを盛り付けていた器を受け皿にしながら、バゲットを齧る将吾はふと思いついたように口を開いた。
「……啓を嫁にもらったら毎日こんなご飯食べれんのかな」
遠い未来を見詰めるかのような台詞が、啓の心にずしりと響く。
冗談の一種だとはわかっていても、高鳴る心のときめきを抑える事はできない。
将吾とこの先もずっと一緒にいる事が出来れば、それ以上に幸せな事などなにもない。
啓は自覚できる程に熱を持った頬を誤魔化すかのように笑みを作り、わざとおちゃらけた風な声音で言う。
「それは将吾さんが俺を嫁に欲しいっていう意味ですか?」
肩をすくめて言う台詞が、精一杯の強がりだった。
将吾はそんな啓を見ながら、自身の口元に手を遣って目を眇める。
「ん?ん……まあ、そんな感じかな」
それがさも当たり前の定まっていた答えだというかのような落ち着いた口調だった。
そんな答えを望んでいたわけではない。願わくば――そう答えて欲しいとは思っていたものの、それは高望みだと思っていた。手の届かない場所の夢だと思っていた。
だから、望み通り思い通りの答えをもらえた啓はここが現実ではない場所なのかとさえ思えた。
「啓は、嫌?」
制止したまま動く事も喋る事もない啓の顔を覗き込みながら将吾は言葉を重ねる。
「いっ……」
そこでようやく、啓は返事をしていなかった事に気付いた。
思いもよらず与えられたご褒美のような極上の幸せに興奮を隠せず、上擦った声で慌てて返事をする。
「嫌じゃないですよ!俺、将吾さんのお嫁さんになりたいです!なります!」
この機会を逃すまいと必死で言う啓を見て、将吾はふっと笑みを零す。
「……考えといてやるよ」
そう言って将吾は残っていたバゲットとスープを食べきり、ごちそうさまと言ってから立ち上がった。
啓は興奮も冷めやらぬまま将吾を追って食事を終わらせた。
いつの間にか夕陽は沈み、空は深い紺色に覆われていた。雲のない夜空には無数の星が浮かび上がり、月は明るく輝いている。
部屋の電気を消し、DVDプレイヤーを繋げたテレビだけを点けている。テレビの中ではどこか知らない世界の話を描く映画が流れていた。
啓が見たい、と借りてきた洋画のDVDだった。それなのに、今は隣に居る将吾が気になって、ストーリーは頭の中に全くと言っていいほど入ってこなかった。
二人一緒の休日がもうすぐ終わる。明日はどちらも朝から学校や仕事があり、啓は泊まらずに家に帰らなければならない。別れの時間まであと数時間といったところだろうか。
啓はそっと隣の将吾をうかがう。二人の間にはほんの数センチ、詰めきれない距離が開いていた。
将吾の瞳は真っ直ぐにテレビの方を向いていて、啓を気にする様子はない。
啓は意を決して、その距離を詰める。
開いていた距離をなくし、ぴったりと身体を寄せる。服の布越しに将吾を感じる事が出来る。
将吾はほんの一瞬、驚いたように身体を強張らせたが再び距離を開けようとはせず、すぐに身体の力を抜いた。
そのまま、互いを感じながら二人はテレビを見詰め続ける。
相変わらず映画の内容はわからないままだったが、確かに幸せな一瞬だった。
映画がエンドロールを迎え、DVDの再生が止まっても二人は体勢を崩す事はない。
どちらとも何も喋らずに暗い画面を眺め隣に感じる互いに意識を集中させる。
もうすぐ一緒に居られる時間が終わってしまう。この幸せの時間は刹那にすぎず、またいつもの日常へと戻る。身を寄せ合っているのに淋しくて堪らなかった。
緊張と淋しさに心を覆われながら、啓はごくりと唾をを呑む。
先程からどきどきと心は高鳴り、血液が沸騰してしまったかのように身体が熱い。
映画は終わり部屋は暗く静かだ。耳を澄ませば隣にいる将吾の息遣いさえ感じられる。
今ならあと一歩、進めるかもしれない。
その予感が啓の勇気を加速させる。
緊張のせいか喉がやけに乾いて声を出しにくい。
啓は一度唇を噛むとおずおずと唇を開いた。
「あ、あの」
「なぁ」
けれどその声は将吾と被ってしまう。
はっと隣を見ると暗闇の中で視線がぶつかり、啓は動きを止めた。部屋の中を灯すのは家電についている僅かなランプだけで、その灯りを頼りに将吾の瞳を見詰める。
どちらの瞳にも困惑と躊躇が入り混じっていた。
言いかけた台詞なのに、続きを切り出すことに戸惑ってしまう。
「……え、えっと、将吾さんお先どうぞ」
自分が何を言いかけたのか、将吾が何を言いかけたのか、部屋を支配する暗闇に吸い込まれてしまった言葉を求めて、啓は将吾を促した。
「……」
しかし、将吾は口を噤んだままだった。
「将吾さん……?」
不安になり、一直線にこちらを見詰める瞳に呼びかける。
将吾はその瞬間僅かに視線を彷徨わせ、唇を開きかけてはまた噛み締めた。
一体将吾が何を言いたいのか不安で、緊張がより一層増していく。
「あの」
啓が口を開いたその瞬間、将吾はずいと手を伸ばして啓の目の前に差し出した。
その手は何かを求めるように手のひらが上に向けられている。
何かを求めている事はわかっても、何を求めているのかはわからない。テレビやエアコンのリモコンも、将吾のスマホも、啓がとってやる必要もなく将吾の目の前に置かれている。
戸惑った啓が動けないままでいると、将吾はようやく口を開いた。
「手……繋ぎたいんだけど」
ぶっきらぼうに、けれど伏せ気味な視線で言われるそれの意味がすぐに理解できず、耳から入った音の処理に時間がかかる。
将吾は焦れたようにもう一度手を突き出した。
「それとも、俺とは繋ぎたくない?」
「そっ、そんな事ないですっ……!」
処理が終わり我に返った啓は慌てて差し出された手を握り締める。
幾度も身を寄せ合って眠り、今も身を寄せ合っている。服越しに何度も体温を感じた事はあっても、その手に触れて素肌で体温を感じるのは初めてだった。
ほんの少し冷たいと感じるのは緊張のため啓自身が熱を帯びているせいだろうか。
「しょっ……将吾さ……ん」
将吾は繋いだ手の指を絡めて深く繋ぐ。
今まで詰められなかった距離がなくなって、ぴたりと寄り添う。
心臓がどきどきと、破裂しそうに痛む。
「あの」
緊張で声が震える。
「啓」
名前を呼ばれて、啓は唇を閉じた。
気付けば啓の顔を覗き込んでいた将吾の顔はすぐ近くまで来ていた。
少し首を伸ばせば鼻先が触れそうな程に近い。暗闇の部屋の中、将吾に視界を奪われる。
そして、距離は再び詰まった。
将吾の匂いを感じ、吐息が聞こえる。衣擦れの音と、自身の鼓動の音がうるさかった。
手に将吾を感じながら、唇を奪われる。
夢にまで見た柔らかい感触が触れた。
「んっ……」
抵抗する間もなく奪われた唇に意識が集中する。
少しだけカサついていて、けれどふわふわと柔らかい唇が心地良い。
永遠に続いて欲しいと願う時間はほんの一瞬で終わってしまう。
将吾は離れ、自身の唇に残る将吾の体温が愛おしい。
唇は離れても視線は絡み続けていた。将吾も啓も、瞳が熱く濡れている。
「将吾さん……」
啓は今日こそ将吾に触れようと考えていた。付き合い始めてからも詰め切れなかった距離を詰めてしまおうと、そう考えていた。
それなのに、啓が戸惑っているうちに将吾が先に踏み出した。
嬉しさが八割を占める中、ほんの少しだけ悔しさが混じり、そして幸せだった。
将吾はおもむろに立ち上がって部屋の電気を点けるとぽん、と啓の頭に手を置く。
暗闇だった部屋に光が舞い戻り、先程までの濡れた空気はどこかへ吹き飛んでしまう。
「さ、もう帰らないと明日ガッコーだろ」
髪をかき混ぜるように頭を撫でられて啓は頬を膨らませた。
「ちょっと髪ぐしゃぐしゃにするのやめてくださいよっ」
そうは言いながらも本気で怒っているわけではない。見上げた将吾の笑みが眩しすぎて、それに揺らめく心を誤魔化すためだった。
唇を交わしたばかりの相手を直視する事が出来ず、啓は勢いよく立ちあがると乱れた髪を整えて帰る準備を始める。
幸せな時間が終わりを告げる。
次にまたこうしてゆっくりと時間をとる事ができるのはいつになるのだろうか。
日々忙しく暮らす二人には一分一秒たりとも逃す事のできない貴重な時間だった。
荷物を纏め終えた啓は玄関に向かうと靴を履く。そのすぐ後ろには将吾が見送りにきていた。
「またメールしますね」
「ああ」
名残惜しくとも時間は残酷にも過ぎ去り別れを強要する。
ずっと一緒にいたいと願っても、今はそれすらも叶わない夢だ。
「将吾、さん」
将吾を振り返ってその手を取り、ぎりぎりまで身体を寄せる。
玄関に取り付けられた明かりは煌々と二人を照らしだしていた。
将吾が抵抗をしないのは同意の証だとみなして、啓は将吾の唇に自身の唇を押し付ける。
触れた唇の感触は先程と変わらない。
部屋が明るいせいか、唇が触れる直前に見えた震える睫毛や、背に腕をまわして抱き寄せるとしなる将吾の身体に情欲をそそられる。
しかし、もうタイムリミットだった。
「また今度、な」
将吾はそう言って啓の身体を押し返す。
見詰めあった瞳に浮かぶ淋しさを誤魔化すかのように、将吾は再び触れるだけのキスをして別れの挨拶に代えた。
「じゃあ、また」
歩みを進めるのが惜しくて、けれどここに留まる事は出来ない。
啓は後ろ髪をひかれる思いで将吾に背を向け、玄関を出る。マンションの廊下は簡素で寂しさだけが心に積もった。
振り返ると将吾が手を振っていて、啓も手を振りかえしてから一歩を踏み出した。
もう振り返る事はせず、真っ直ぐにマンションの出口を目指す。
今日は終わってしまったかもしれないけれど、また明日があるのだと、そう思う事が出来た。
詰められなかった距離が詰まった事による自信だろうか。
将吾とこの先どうなるかなんて予想もつかなかったけれど、きっと幸せになれるのだろうという確信があった。
根拠なんてどこにもない頼りないものだった。それでも、今の啓にはそれだけが希望だった。