あいしてる、と呟く口元は狂気に笑っていた。



 腕を頭上で一括りに纏められ、その手首には手枷が嵌められていた。重量感のあるそれは玩具に類するものではなく、鈍く黒光りをする金属で出来ている。白橋がいくら藻掻こうともびくりとも動かず、手首に嵌められた金属の重さと冷たさを感じるだけだった。その手枷には鎖が繋がれており、鎖は部屋の隅にある金属製のポールの床に近い場所に巻きつけられていた。
 鎖は短く、白橋はこの部屋から出るどころか立ち上がる事さえままならない程だった。
 四方の壁や床や天井も打ちっぱなしのコンクリートで出来たこの部屋に窓はない。家具と呼べるようなものも何も置かれていない。ただ、全裸に剥かれて拘束された白橋と、申し訳程度の意味しか成していない毛布しかなかった。
 毛布の上に身体を横たえても、コンクリートの冷たさは毛布を通り越して白橋の身体を冷えさせる。今が真冬ではない事に心底感謝した。
――白橋が何故、このような状況になっているのか。
 それは、白橋自身も把握していなかった。目を覚ますと既にこの状態だったのだ。
 毎日会社へ通う一介のサラリーマンである白橋はギャンブルや女とは無縁の生活、酒だって誘われれば嗜む程度だ。これといった趣味も特になく、温和な性格でトラブルに巻き込まれるような心当たりはない。
 ここはまだ夢の中なのではないかとすら思える。が、その身体に感じるコンクリートの冷たさは確かに現実のもので、本物だった。
 ようやくこれは現実なのだと受け入れた白橋は、意識を失うまでの記憶を手繰る。
 金曜日の夜だったはずだ。秋の大型連休を目前に控えた最後の平日で、明日から始まるいつもと違った自由気ままな日々に胸をときめかせ、大学時代の後輩に誘われるまま飲みに繰り出した。
 後輩の西野は白橋のように会社に就職する事なく、まだ大学生だった頃から文筆業を営んでいる。所謂、小説家というものだ。
 白橋自身は本には全く興味がなく、それなりに仲の良いはずの西野の作品でも読んだ事はない。しかし、世間ではそれなりに評価されて名も通っているようで、まだ二十代前半という若さだというのにいくつかの賞をとり、中には映像化された作品もある。
 そのおかげでつい最近、騒がしい場所は嫌いだ、と白橋の会社から電車を何本も乗り継いだ、誰が見ても『田舎』と思えるような場所に大きな独り身でありながら戸建てを新築したのだった。
 金曜日の夜はそのお披露目会としての側面が強い呼び出しだった。白橋は仕事帰りにスーパーに寄って酒を買い込み、電車に揺られて二時間、駅からはタクシーで三十分かけて、周囲を田畑に囲まれた西野の家を訪れた。
 見渡す限り他に民家は見当たらず、街灯すらもほとんど見当たらない。確かに静かではあったが、都会で暮らす事に慣れている白橋にとって、静かすぎて怖いくらいだった。
 一階にあった広いリビングは天井も高く開放感に満ち溢れていた。シンプルではあるがきっちりと整えられた家具たちは見事に調和し、まるでモデルルームのようだと思った事を覚えている。二つ年下の後輩の成功を素直に喜ぶ事が出来た。
 そのリビングで酒を飲もうとしていた――ところまでは、白橋の記憶に確かにあった。だが、そこからはやけにあやふやだった。
 酒を飲み始める前に、どこか海外に行った時のお土産だというお茶を勧められた。赤いパッケージには見慣れない記号のような文字が並んだお茶は、麦茶に酸味を足したかのような独特の味わいで――そこからの記憶は、どこからが夢でどこまでが現実なのかもわからない。記憶こそ確かではないがふわふわと、世界が回っていく感覚だけは残っている。
 白橋が寒さに身を捩ると、繋がれた鎖がカチャリと音を立てた。出来る限り腕を引き寄せて横を向き、胎児のように足を縮こめて背を丸める。
 一体、今は何時頃なのだろうか。窓も時計もないこの部屋では時間を推測する事は不可能だ。天井から吊られている蛍光灯が無情にも白橋の裸体を照らしていた。
 と、その時、部屋の唯一の出入口である扉の鍵が外れ、身構える白橋をよそにその扉は開け放たれた。
「あれ、もう起きちゃったんですか。意外に早かったですね」
 そう言って――西野はなんでもない事のように呟き部屋に足を踏み入れる。
 裸の白橋に対して、西野はきっちり服を着込んでいる。ベージュのチノパンにゆったりとした紺色のセーターは白橋も見覚えがあるものだった。
 西野は真っ直ぐ白橋の元へと歩き、その場に身を横たえる白橋の元へしゃがみこんだ。
「西……野……?これ、何?どういう事……?」
 普段通り――優しげな微笑みを浮かべた西野は――なぜだかやけに怖かった。背中にはぞくりと冷や汗が流れ、本能は逃げろと訴えている。だが、こうして拘束されていては逃げる事も出来ない。
「この部屋、白橋さんのために作らせたんですよ」
 西野は白橋の疑念に答えるつもりはないようで、白橋の頬に手を伸ばしながらまるで独り言のように呟いた。
 頬を撫でる指先は優しく、けれど、恐怖を煽るものでしかない。
「俺のため……?」
「うん、ずっと昔から、こうして白橋さんを俺だけのモノにしたかったんだ」
 問い返すと、西野は満足気に頷いた。
 やはり、これは夢の中なのではないかと思う。あまりに現実味がなくて、悪い夢ならばはやく醒めてしまえ、と。
 指は頬から唇へと移動する。唇の形を確認するかのように何度も撫でる。白橋はその指から逃れるように少しだけ頭を後ろに引き、言葉を紡いだ。
「西野、冗談でもちょっとやり過ぎだろ」
 ぎりっと、いつになく睨んでみるが、それで西野が動じた様子はない。それどころか、白橋が動いた事で離れてしまった指先を再び伸ばし、今度は顎を掴んだ。
「冗談なんかだと思ってるんですか?」
 強引に引き寄せられて喉がぴきりと痛み、顔が近付く。視線が絡まり――囚われる。ほんの十数センチという距離で見詰められ、世界がしんと静まりかえった。
「俺、白橋さんが好きなんです。昔から――ずっと」
「好き……って……」
 現実味なんて――欠片もなかった。
 後輩の瞳は真剣そのもので、冗談などではない事はよくわかった。だからこそ夢であれと願うのだ。
 呆然とする白橋の唇に、西野は唇を重ねた。初めて触れた男の唇は柔らかく温かかった。その唇はやがて白橋の口内を侵食しようと舌をを伸ばしてくる。
「にしっ……!」
 避けようとしても後頭部を抱きかかえるように抑えこまれ、まるで軟体動物のような舌が西野の口腔を侵した。
 手を後ろで拘束された不自由な体勢で舌を絡められ――性急に求める舌から逃れる術はない。
「んっ……」
 粘膜を容赦なく刺激され、むず痒いような苛立ちにも似た熱が広がる。それと同時に微かな浮遊感のような心地良さが身体を包んだ。
 ねっとりと、余すところなく口内を味わった舌は執拗で、怪しい感覚が背筋を走り、白橋は身を震わせる。
 後頭部を支えていた手は頭から首筋、首筋から背中へと移動した。晒された肌の上を滑るその指は、柔らかく、羽毛を思い出させる動きで白橋を撫でた。
 身体を捩り、その手と唇から逃れようとするが、いくら捩ろうとも無理矢理抱え込まれ、白橋の企みは不発に終わる。それどころかより激しさを増していった。
「やめ……ろっ!」
「――っ!」
 白橋の意思を無視したあまりに強引な口付けに苛立った白橋は、自身の口内に差し込まれた舌に歯を立てる。とは言えど、本気で噛む事は出来ず、甘咬みに近いそれだ。
 しかし、それでも西野を脅すくらいの効果はあったようで、低く呻いた西野は咄嗟に身体を離して唇を解放した。唾液で濡れた唇を自らの手の甲で拭いながら、視線は絡んだまま互いに逸そうとはしない。
「……反抗的な態度とるのは別に構わないですけど、あとから白橋さんが苦しくなるだけですよ」
 今までの笑顔はどこへやら、西野は苛立ちを隠そうともせず眉を顰め、再び白橋の身体に手をかける。先程とは違い、今度は下肢の方だった。横向きだった身体を無理矢理仰向けにし、膝の上に乗り上げる事で足での抵抗をいとも簡単に抑えこんでしまう。毛布が敷かれているといってもそれを通り越してコンクリートの冷たさを感じられる程の厚みしかない。無理矢理体勢を変えられた事で背中を打ち付けびきりと痛んだ。
「西野っ……!お前何考えてるんだよ!やめろって!」
 いくら白橋が怒鳴って藻掻こうとも、西野は構わずに足の間で晒され、頼りなく縮こまった陰茎を手のひらで包む。
「何考えてって、見ての通り白橋さんとセックスしようと思って」
「セっ……」
 何でもない事のように首を傾げる西野に、白橋は絶句する。萎えた陰茎を優しく揉みしだかれ、寒気にも似た何かが身体を駆け巡った。
 その萎えた陰茎に、西野は迷わず舌を伸ばした。
「ひっ――――」
 セックスの経験は歳相応にはあるが、こうして男の口に含まれる日がくるなんて想像もしていなかった。
「白橋さんの、おいし……」
 ぴちゃぴちゃとわざとらしく大きな音を立てながら、西野は陰茎を口に含み唾液を絡めるかのように舌で愛撫していく。敏感な先端を舐めまわし尿道を割るように舌で突付き、張り出したカリの部分を窄めた唇に引っ掛けるようにして竿を扱く。
 濡れた音が、聴覚を刺激する。生暖かい粘膜に包まれた男根は己の意思に反してその淫らな刺激を享受する。
「西野……やめろって……」
 その声が弱々しいのは、萎えていたはずの陰茎がみるみるうちに熱を持ち始めたからだ。
 足を動かして西野の身体を退けようとするが、膝の関節を抑え込まれていてはそれも出来ない。
 男根は西野の口内で与えられる甘美な刺激を、唇を噛み締めて――享受する。裏筋をじっとりと根本から先端へと舌先で辿られ、溢れだした先走りの液体を一滴たりとも逃すまいと吸い付かれると、いくら感じたくないと思っていても身体は無様にも反応してしまう。
「んっ……」
 せめて声を漏らさぬようにと息を詰める。零れ落ちた西野の唾液が根元から睾丸へと伝い、閉じた股の間の奥深くを濡らして気持ち悪かった。
 自慰で得られるものとは別種の快感を与えられて腰が震える。男性器をこうして口に含まれたのは初めてではない。二十代半ばという年齢に年相応なくらいには女性経験もある。
 しかし、西野の男の弱いところを全て知り尽くした口淫は今まで経験してきたどの口淫よりも悦楽を生み出すのだから、白橋はただ与えられる快楽に身悶えるしかなかった。
「舐められるの、好きなんですね」
 言いながら、先端を手で持ち、陰茎の根本から先端までを舐めあげる。目を逸らしたいのに――その光景から目を逸らす事が出来なかった。
 硬さを持った陰茎は、既に西野が支えなくても天を向いてそそり勃っていた。
「あ……西野っ……」
 再び深く咥えこまれて息を詰める。涎を絡めながら吸い上げられて、腰が浮いてしまいそうになる。
 快感を引き出す場所だけを的確に愛撫できるのは、西野が同性だからである故なのだろう。そして、そこに技術が加わる事で――抗いきれない甘い刺激が身体を支配する。
「――っ!」
 波が、押し寄せる。
 絶頂はすぐそこにある。ほんの少し手を伸ばせばいつでも届く程の距離で――けれど、腹筋に力を入れ、その場で足踏みをする。
 このままでは絶頂を迎えずにはいられないのだろうとは思っていても、素直にそこへ駆けていく勇気はなかった。己の矜持のために絶頂を堪える。
「んぁっ……」
 股間に顔を埋める男に、敏感な亀頭を軽く甘咬みされて小さな悲鳴をあげた。痛みがあったわけではなくて、純粋な恐怖心からの悲鳴だった。だが、男根は萎える事なく熱を持ち続けている。
 西野は陰茎から口を離して顔をあげ、興奮と快感のせいか頬を赤く染めた白橋を真っ直ぐに見詰めた。
「さっきのお返しですよ」
 涙目で西野を見上げて、白橋は先程西野の舌を噛んだ事を思いだした。
「西野……もうやめようっ」
 知らず知らずの内に息は上がってしまっている。
 だが、西野は白橋の言う事なんて全く聞いていないかのように笑った。
「白橋さん、自分から大人しく足開くのと、動けないように拘束されて無理矢理足開かされるのと、どっちがいいですか?」
 にこり、と笑顔で告げられたその言葉を理解する気になれないのは当然の事ではないのだろうか。
 理解したくもない事を言われて、ぽかんと口を開ける。
「そっ……それってどっちにしろ結局足開かないといけないって事だろっ……!お前本当にいい加減にしろって」
「ああ、拘束される方がお好みなんですね。清純そうな顔してるのに、白橋さんもスキモノですね」
 そんな的外れな事を言いながら西野は立ち上がり、部屋の扉の方へ向かうとそのまま部屋を出た。
「ちょっ、おい、どこ行くんだよ」
 慌ててその背中に声をかけるが返ってくる言葉はない。ぱたん、と扉が閉まった後に残るのは孤独な空白と、中途半端に疼く体内の熱と――計り知れない恐怖だった。
 しかし、それもほんの一瞬の事だった。時間にすれば十分にも満たない時間だっただろう。
 再び姿を見せた西野は、今度は両手で抱えなければいけない程の大きさのコンテナケースを抱えていた。
「俺とした事がうっかりしてました。おもちゃは全部こっちに置いておけばよかったんですね」
 そう言いながら、寝転ぶ白橋の腰の横にそのコンテナケースをどさりと置く。コンテナケースは白く濁った半透明色をしていて、中に入っているものはうすらぼんやりと色と形状が見えるだけだった。
「それ、なんだよ……」
 嫌な予感は当たるものだ。
 西野の口ぶりや、そこから見える派手な色合いのモノ――。
「白橋さんにお楽しみ頂けるかと思って、色々揃えてみました」
 西野はコンテナケースの蓋を開け、白橋に見やすいよう斜めに抱えて中身を見せつける。その口調がどこか嬉しそうなのが、余計に腹立たしかった。
「なっ……!」
 コンテナケースの中身は、白橋が察したもので正解だった。男根を模した電池式のバイブや、本来はそういう用途で使うために作られたのではないハンドマッサージャーから、見た事や存在は知っていても使う予定などこれっぽっちもなかった前立腺用の玩具、今着けられている手枷よりは簡素な手錠――様々な性玩具たちに埋め尽くされていた。
「あはは、そんな泣きそうな顔しなくても大丈夫ですよ。いくら俺でも初心者にそんな無茶な事しませんって」
 西野はコンテナケースを置き、その中から何かを取り出す。
「西野、本当にやめようって……今ならほら、許してやるし、何もなかった事にしてやるし」
 気弱なその声は微かに震えていて、勃起していたはずの陰茎も今は小さく萎えていた。
「嫌ですよ。せっかくのチャンスなのにみすみす見逃すなんて出来るわけないでしょ。……それに俺は許されたいなんて思ってないです。何もなかった事になんか、させません」
「おかしいって、お前一体どうしちゃったんだよ……!」
 足に手をかけられて、慌ててじたばたと蹴り上げてみるが両手を使って抑えられてしまえばどうにもならない。
「はいはい、暴れないでくださいね」
 白橋は西野の左足をとると、膝を折り曲げ、大小と二つの革製のベルトが連なったそれで太ももと足首を一纏めにする。
「なんなんだよ……お前……」
 西野がこれから何をしようとしているのか、そんな事もわからない程に純情ではない。――だからこそ、恐怖は込み上げてくる。男同士の性行為がどのように行われるのかは知っている。だが、それをしようと思った事もなければ、どう考えても出来る気はしなかった。
 男同士で使用するその孔は白橋にとってただの排泄器官にしか過ぎないのだ。そこに男性器を受け入れるなんて、考えたくもなかった。
「白橋さんの事が好きなんです。好きな人とセックスしたいって思うのは男として当然の本能ですから」
「俺は……西野の事なんて好きじゃないっ」
 必死の思いで、西野を拒絶する。身を捩り、逃れる事は出来ないとわかっていても逃げようとする。
「知ってますよ。でも、そんなのどうでもいいんです」
 だが、いくらもがいても目の前の西野から逃れる程には至らない。あっという間に両足をそれぞれに拘束され、左足のベルトだけに鎖を通され、手枷と同じように部屋の隅にあるポールへと繋がれる。
 足を閉じる事は出来なくなり、大事な場所は全て西野に向けて丸出しになってしまっていた。
「白橋さんが俺の事をどう思っていようと、白橋さんはもうここから逃げる事は出来ないんです。白橋さんを飼い殺しにするのが夢で、そのためにこうやって家を建てて、やっと実現できるようになったんです。」
 目の前が、赤く染まりそうなくらいに恐怖が心を冷やす。
「ここ……お前の家……」
「ええ、わざわざ地下室とか作っちゃいました。どんなに派手に喘いでも外に声が漏れる事はないんで安心して喘いでくださいね。って言っても、付近に人が近づく事もあまりないとは思いますが」
 恐怖で身体が震えるというのは、これが初めての経験だった。背筋を嫌な汗が伝う。
 いつものように笑顔で、それがさも当然といった風に語る西野の瞳は真っ直ぐで、暗闇だった。
 その西野の手が、遮るものなく晒された陰茎に触れる。
「ヤダって……」
「はやく諦めた方が楽なんじゃないですかね」
 他人事のように言って、男根を口に含む。先程と同じように唾液を絡ませ、わざとらしく音を立てる。
「んっ……」
 恐怖と羞恥、それが心を蝕むのに、中途半端に熱を持って疼いていた身体は外部からの刺激に素直に反応する。己の意思に反して甘い刺激は身体に毒のように回り、白橋を絶望に黒く染めた。
 ぴちゃぴちゃと唾液を滴らせて舐められる事で白橋の男根は再び勃起し、嫌らしく快感を求めて疼く。

next

indexに戻る