薫る紫煙の行方 第七話


「誘ったのは湊さんですからね」
 古渡が頬を膨らませると、湊は笑いながら肩を竦めた。
 まだ半分以上も残っているビールの缶は、ベッドサイドにある小さなテーブルの上に置いた。
 目を見合わせ、どちらからともなく唇を寄せる。
 今度は遮るものなく触れ合った。
 啄むように薄く柔らかい唇を嬲り、舌を口内へと差し込む。
 抱き寄せた湊の身体は、古渡が先導するままに腕の中で力を抜いた。
「んっ……」
 舌先で上顎を撫でると、湊の唇から甘い吐息が漏れる。
 濡れた音が耳を支配し、まるで時が止まってしまったかのようだ。
 絡めた舌先と、手のひらにはシャツ越しに体温を感じる。
 ずっと触れたかったその身体に、今触れている。
 その一瞬は永遠にも感じられた。
 湊は古渡の首に腕をまわし、二人の口づけはより深いものになる。
 どちらものかわからなくなった唾液を啜り、荒く呼吸を吐き出す。
 世界には二人しかいないのかとさえ思えた。
 やがて唇は離れ、濡れた唇の湊と見詰めあう。
「ねぇ、舐めたい」
 湊はそう言って古渡の上体を軽く手のひらで押すと、そのまま身を屈めて古渡のベルトへと手をかけた。
「えっ……でも」
 仕事から帰ってきて、まだシャワーも浴びていない状態では羞恥も伴う。
 古渡の股間に顔を埋め、手際よくベルトを緩めスラックスのジッパーをおろした湊の肩を押し返し身を捩ってみるが、湊はその抵抗をものともせず何故か楽しそうな笑みを浮かべた。
「いいからじっとしてろよ」
 そして、スラックスを下着ごとずりおろし、古渡の萎えた男根を露わにする。
 ひんやりと冷えた外気と、酒のせいか少し熱い湊の指先に刺激され、その場所からぞくりと電流が駆け抜けた。
「っ……!」
「古渡の、可愛いよな」
 湊はその男根に顔を近づけてじっと見詰める。
 古渡からでは身を屈めた湊の表情はわからない。
 わかるのは、湊はこの状況を楽しんでいるのだろう、という事だけだった。
「湊さんっ……」
 見られているだけなのに、そこは何故かひくりと反応を示す。
 汗をかくような季節ではないが、一日仕事をした後のそこに突き刺さる視線は絶望にも似た羞恥と、怪しげな昂ぶりを誘う。
 そして、湊は大きく口を開け男根を咥えこむ。
「みっ……!」
 熱い粘膜に敏感な場所を包まれる。
 舌は唾液をまぶすように動き回り、漏れそうになる声は下唇を噛み締める事で耐えた。
 ぞくぞくと、背筋を快感が這い上がり、湊の口内で容積を増していく。
 裏筋を撫でられ、窄まった唇は竿を扱くように出し入れを繰り返した。
 入り込むその瞬間には舌で受け止められて亀頭を刺激される。
 頭の中心部が焼けきれそうな程に興奮していた。
 湊にフェラチオをされるのはこれが初めてだった。
 古渡の想像よりもずっと、現実の湊の舌技は耐え難いものだった。
 それに、愛しい男の口を犯しているのだと思うとあらぬ興奮が湧き上がってきた。
 尿道を割るかのように亀頭を責められ、知らず知らずのうちにシーツを掴んだ指先に力が入る。
 塗りたくられた唾液は零れ落ちて睾丸までもを濡らした。
「それ……やめっ……!」
 ペニス全体を吸い上げるようにしながら舌で裏筋を責められると限界が近いのが腰は揺らめいてしまう。
「ん……」
 湊は顔を僅かに上に向け、上目遣いに古渡を見詰めた。
 頬は赤く、その瞳は楽しげに弧を描いている。
 そして、湊は古渡のものを頬張りながら利き手である右手を自身の股間へとやる。
 片手でベルトを外してスラックスを寛げた。
 古渡からは湊自身で隠れていて見えないが、何をしているかは明白だった。
 湊の吐息にも甘いものが混ざりはじめ、快楽を追っているのだとわかる。
 男根を咥えながら自慰をする湊のその姿は酷く倒錯的で、古渡の神経は灼かれてしまいそうだった。
「湊さん、もうっ……!」
 絶頂が近いのだと訴えても、湊は口を外そうとはしない。
 それどころか片手を添えてより一層愛撫を激しくした。
「やっ……」
 せめてもの抵抗、と湊の肩に手をやり押し返そうとしてはみるが、快感に負けてしまっているのか力が入らない。
 内腿が震え、その時を迎える。
「――――!」
 足のつま先から頭のてっぺんまで、一気に快楽が走り抜けた。
 拡散していた体内の熱が身体の中心に集まり、精道をこじ開いて出口を目指す。
 声にならない悲鳴をあげ、背を丸めて白濁の液体をぶちまけた。
 そして、その液体は全て湊の口内へと流れ込む。
 駄目だ、と思っているのに愉悦の渦に抵抗することも出来ず巻き込まれ、それをただ見ている事しかできなかった。
「みな、とさんっ……」
 全てを出しきり肩で息をする古渡に名前を呼ばれて顔をあげる。
 白濁の液体を含んだ唇の端がにっと笑みを描いたかと思うと、湊の喉仏が大きく上下した。
 あのしなやかな喉を自身の精液が流れ落ち、湊の一部にになった――ここは夢の中で、今目の前にいる湊は幻なのではないか――そんな事さえ頭に過ぎる。
 けれど絶頂の余韻の気怠さは、確かに現実のものだ。
「ねぇ、俺のもシテよ」
 身体を起こした湊は唇を舐め、露出した自身を見せつけるようにした。
 湊の手のひらに揉まれた性器は既に先端から樹液を漏らしている。その液体を、指先で亀頭全体に塗り拡げる。
 こみ上げる欲求を、湊は唾液を飲み込んで抑えこむ。
 色欲は今にも破裂しそうで、思いのままに湊を抱きたい衝動に襲われた。
 古渡は暴走する自身を必死で抑え込みながら、誘われるままその男根に手を伸ばす。
「んっ……」
 触れたそれは熱く、ひくひくと脈打っていた。
「……足、開いてください」
 湊は潤んだ瞳で小さく頷き、下着とスラックスを脱ぎ去ると尻をついて両膝を立てて足を左右に大きく開いた。
 身体が倒れてしまわないように両手を背後に伸ばして支えにする。
 開かれたその足の間で天を突く湊の男根を支配したくて、鼓動の音を感じられそうな程に胸が高鳴った。
 身を屈めて唇を近付け、男の証を口へ含む。
 既に興奮の気配を隠そうともしないそれは男の匂いで溢れていて、古渡の情欲は容易く煽られる。
 唾液を出して舌で絡めると、頭上から甘い吐息が降ってきた。
 先ほど自分がされたのと同じように舌先で裏筋を撫でるように責める。
 根本から先端まで唇で扱きあげると、口内に先走りの液体が広がった。
 古渡にとって、それはまるで極上の酒のようにも感じられる。
 一滴舐めとるだけで身体の芯にじんと痺れるのうな感覚を覚えた。
 古渡は唇から唾液を零す。そうすると竿から伝った唾液は睾丸を越え、その奥にある秘められた場所へと辿り着く。
「もう少し身体倒せます?」
 湊は言われるがままに上体を後ろへ倒す。古渡はその尻の下にクッションを押し込み、足を限界まで開かせた。
 そうする事で今まで隠れていた後孔がようやく晒される。
 天井に設置された蛍光灯に照らされたそこはきゅっと窄まり、先程古渡が垂らした唾液で表面を湿らせていた。
 ひとさし指でそっと触れると、ひくひくと開閉を繰り返す。
 少し押し込むとそこはさした抵抗もなくすんなりと受け入れた。
「あれ……湊さん、もしかして」
 そこで古渡ははたと気付く。
 いくら湊が行為になれていたとしても、そこは本来受け入れるための場所ではない。
 それなのに今日の湊は受け入れるだけでなく、更に引き込もうとするかのように粘膜を蠢かせていた。
 湊の方を見ると、頬を真っ赤にしてそっぽを向いている。
 恐らく、ここに来るまでのどこか――会社のトイレなどで準備をしてきた、という事なのだろう。
 胸の底から興奮が湧きあがり、湊のペニスを咥えなおす。
「あっ……」
 指を深くまで差し入れるとそのペニスは小刻みに震えた。
 わざとらしく音を立てて唾液をペニスに絡めながら、湊の体内をかき混ぜる。
 すると湊の腰は陸に打ち上げられた魚のようにびくびくと跳ねあがり、古渡の興奮を誘うのだ。
 汗ばんだ湊の手は、何かに縋るように古渡の肩に置かれた。
 既に欲望がはちきれそうになっているのは、どうやら古渡だけではないらしい。
 湊の柔肉は、飲み込んだ指を更なる奥へ誘うかのように蠢く。
 古渡は一度は白濁を吐き出したはずの自身が再び熱を持っている事を意識し、二本目の指を突き入れた。
「こわたりっ……!」
 名前を呼ぶ男の爪が肩に食い込む。が、それは痛みを訴えているわけではなさそうだ。
 本来、何かを受け入れるべき場所ではないそこはすっかり解れていて、古渡の指を飲み込んでいる。
 唾液に濡れててらてらと光るそこは酷く卑猥だ。
 古渡の悦ぶ場所を抉ってやると、その腰が悩ましげに動き出す。
「ねぇ、湊さん……挿れてイイですか……?」
 古渡が囁くような声音で言うと、湊は首をがくがくと振った。
 体内をかき混ぜていた指を、内壁に押し付けながら抜き去り、入れ替わりに自身の熱を押し当てる。
 湊が息をのむのがわかって、そのまま侵入をはじめる。
「っ――!」
 熱く濡れたその場所に、包まれる。
 快感が肉体と思考を支配する。
 身体の中心から端々に巡る愉悦に夢中になる。
 そこからは本能のままに動き出した。
「ひぁっ……!」
 湊の跳ねる腰を両手で抑え込み、自身の快楽を追うために突き上げる。
 そうすると男根の張り出した部分が湊の好きな場所を掠めるのか、湊は派手な声をあげた喘いだ。
 勃ちあがった男根からは先走りの滴を撒き散らし、快感に溺れているのだとわかる。
「湊さんっ……!」
 湊が感じてくれているのだ、と、嬉しく思う気持ちと――どす黒い嫉妬が巻き起こる。
 湊の身体はすっかり成熟しきっていた。
 後ろだけで感じる事が出来る程に誰かと夜を共にしたのだろう。
 一体今まで、この八年間で何人の人間に抱かれたのか――自分が知らない間にどれだけの人間がこの体内を味わったのか――嫉妬に狂ってしまいそうだった。
「こわたり、そこっ……もっと……!」
 湊の望む通りに内壁を抉る。
 大きく広げられた足を肩に抱え、前立腺を掘削するように抉りこむと湊はすすり泣きを漏らした。
 そして、少しでも奥へ。もしかしたら誰も知らなかったような場所に辿り着けるのではないか、と。
「もっ……だめっ……!」
 湊は全身を硬直させたかと思うと、勢いよく精液を吐き出した。
 吐き出された精液は、湊の胸から顔にかけて飛び散る。
 絶頂のその瞬間の絞り込むような内壁の収縮に負けて、古渡も絶頂を迎えた。
「……っ!」
 真上から湊の体内へ突き入れ、白濁の液体が少しでも奥に届くように、何も孕まない腹へと滾った欲望を流し込む。
 互いに荒く肩で呼吸しながら、行為を終了させる。
 古渡が萎えた自身を引き抜いたその時、湊はひくりと震えた。
 アルコールと興奮で、二人は全身を汗に濡れさせている。整えたばかりのシーツは派手に乱れ、そして様々な液体の染みを作っていた。
 湊は手近にあったティッシュを取り、自身の肌に散った白い液体を拭き取っていた。
 それから古渡の方をぎろりと睨んで言う。
「……ナカで出すなよな……。シャワー借りるから」
 怒っている、というよりもどちらかと言えば呆れているのだろうか。
「……すみません」
 本能に負けたのか、それとも嫉妬に突き動かされたのか、うっかりしていた、では済まないだろう。
 今回はそれを使う余裕はなかったが、コンドームだっていつでも使えるように用意してあったのに、だ。
 古渡がしょんぼりと頭を下げると、湊は小さくため息を吐いて立ち上がる。
 バスルームへ向かうのだろう。内腿には古渡が出した液体が滴っていた。
 八年という月日は、決して短いものではない。
 その間に湊が一体どのような経験をしたのか、一言では語りつくせないだろう。
 古渡は自身の知らない間の湊の事を考えて、深く溜息を吐いた。
 湊は古渡のものではない。
 けれど、どうにもならない嫉妬心が次から次へと渦巻いた。
 離れていた間に、湊が何をしようと誰に抱かれようと古渡に文句を言う権利はない。
 それなのに気になってしまうのは、湊の初めてを奪って男同士での肉体関係もあるのだと教えてしまったのは古渡だったからだろう。
 湊の言う事が本当ならば、古渡が無理に抱かなければ湊も道を外さなかったはずだ。
――こうして、古渡が嫉妬に心を黒くする事もなかったはずだ。
 古渡は再び溜息を吐き、汚れたシーツを取り去る。
 傍らでは、飲みかけのビールがぬるくなってしまっていた。
 そして、浴室から帰ってきた湊はそのビールを取り、いっきに喉へと流し込んだ。
 バスタオル一枚を腰に巻き付けただけの恰好でビールを飲む湊の姿をぼんやりと眺めてから古渡も自分のビールを飲む。
 ぬるくなっているせいか、いつもより苦みが強く感じられたような気がした。
「じゃ、帰ろっかな」
「……帰り道、気をつけてくださいね」
 酒も入っている事だし、一晩くらい泊まっていけばいいのに。そう思いながらも、呼び止める事はしなかった。



 あんなに触れたいと思っていたはずなのに、いざ触れてみれば辛くて仕方がなかった。
 八年ぶりに触れた湊は、他の男の気配を感じた。
 それがどうしても許せなかった。――そもそも許す、許さないの問題ではない事も自分でよくわかっている。それでも自分の嫉妬をコントロールする事が出来なかった。
 解決するための手段は、残念な事にたった一つの方法しか思い浮かばない。
 古渡は相変わらず湊を避けた。
 それでも、湊の方からのアクションを避けきる事は出来ない。
 その日も――古渡が出社すると、先日のようにエレベーターホールで待ち伏せをする湊の姿があった。
「よっ」