獰猛な指先 第九話



 口内を液体で満たされたその瞬間、本山も絶頂を迎えた。身体中の熱がそこへと集まり、全てを放出する。溢れる愉悦に背はびくびくと震え、舌を襲う男の苦味にこの世のものではないと思える程の悦楽を感じていた。
 絶頂を迎えてまだ整わぬ息のまま、喉に絡む白濁の液体を嚥下した。
 散々に喉奥を突かれて胃の中のものもせり上がってきていたがすんでのところで我慢をする。男根は既に引き抜かれているというのに唾液の分泌は未だ治まらなかった。
「……おまえ、本当に変態なのな」
 ソファの上に広がり染みになる白濁を見て、長岡は飽きれたように笑った。
「うっせーよ」
 涎にまみれた口元を手の甲で拭い、長岡を睨みつける。
 それと同時に顎を掴まれ、身動き出来ないよう固定された。
「ちょっと酷くされた方が興奮しちゃうタイプ?無理矢理っぽくされんのとか好き?」
 問う唇はにやにやと嫌らしく歪んでいる。見つめ合う瞳は全てを見透かしているかのようだった。
――否定する事は出来なかった。
 下唇をぎゅっと噛み締め、せめてもの抵抗、と瞼を伏せ気味にして鋭い視線から逃れる。
 自身のどうしようもない性癖についての自覚は十分にある。長岡の言う通り、そうされる事で普段から燻り続けている熱はより一層大きく燃え上がるのだ。
 自分よりも大きな力で抑えつけられて抵抗する間もなく犯される事、身体をまるで玩具のように扱われる事――興奮は膨れ上がり、苦しさの中に混じる愉悦を感じてしまう。
 先程のようなプレイは、本山が好むものだった。
 何も答えない本山のその反応を、長岡は肯定の意思だと捉えたようだ。顎を掴んでいた手を離し、髪を撫でる。
「次ヤる時は縛ったりとかしてみる?」
 囁くような甘い声音は、なんとも魅力的だった。
 想像するだけで胸がときめくような響きのそれに、視線に晒されている事を感じながら小さくこくりと頷いた。



 残っていた赤ワインを飲み干し、本山は眠りについた。二人で寝ても広い大きなベッドに素肌のまま潜り込み、長岡の腕に抱かれて眠った。
 もう恋心はないはずなのに、触れ合うその体温は心を癒やすように心地が良い。
 普段はスーツに包まれている長岡の身体は程良く筋肉がついていて、触れば硬いその肌の感触がたまらなかった。
 これで性格さえよければ迷わずアプローチをかけるのに、と、少し残念な気分になる。
 誰かと過ごす夜は嫌いではない。誰かに包まれて過ごす夜は落ち着く事ができる。ひとときの幸せに浸りながら、その夜を終えた。
 始発電車に間に合うように起きた二人は身支度整えホテルを後にする。会計はちょうど半分ずつそれぞれに支払った。
 外に出るともう太陽は顔を出してはいるが、街中に人の姿は見えない。街に広がる朝の清々しい空気が気持ち良い。
 本音を言えば出社ぎりぎりまで眠っていたいが、わざわざそんな時間にホテルを出たのは、一度自宅に帰って着替えるためだった。
 駅で別れて帰路に着く。
 一日ぶりに帰ってきた自宅は僅かに懐かしい。
 軽くシャワーを浴びて洗いざらしの下着を身につける。
 昨夜浸った愉悦は悪くはなかった。それに、次への期待が身体の奥をじんと痺れさせる。盛りのついた学生時代に戻ったかのようだった。
 昨日とは違うワイシャツにネクタイを締め、いつもよりずっと早い時間ではあったがもう家を出る事にした。
 折角なのだから、どこかで朝食を食べようと言う算段だ。
 会社へ向かう電車の中に人はまばらで、通勤ラッシュでなければこんなに楽なのかと感動を覚えた。
 会社近くのカフェに入り、モーニングセットを注文する。コーヒーにトーストとサラダ、ベーコンエッグがついたセットだった。
 普段は外で朝食を摂る機会なんてそう多くはない。新鮮な雰囲気は、今日一日の充実を予感させる。
 携帯電話を片手にのんびりと過ごし、出社時刻が近付いた頃になってようやく席を立った。
 その頃には街には本山のいつも見慣れた活気が戻ってきていた。会社に着くとタイムカードを押し、自身の席へと座る。
「おはよ」
 ほんの数時間前に別れた長岡に声を掛けられる。浮かべた笑みは会社でしかする事のない、いつか本山が惚れた爽やかなそれだ。
「おはよ」
 挨拶を返して仕事の準備を進める。無自覚のうちに長岡の二面性にも随分慣れてしまったようだ。
 そして、始業開始の合図と共に一日が始まった。
 変わり映えのしなかった日常は少しだけ形を変え、それでもなお何事もなかったかのように進んでいく。
 身体だけの関係だと割り切ってしまえば、愉悦に溺れる事に罪悪感もない。
 指を絡め、肌を重ねる。その体温を思い出せるくらいに何度も繰り返して、中身のない愛を育む。
 元来、快楽は好きだった。肉欲と愛は全くの別物で、気持ち良ければそれだけで十分だ。
 そしてなにより、長岡とする行為は本山の欲求を余すところなく満たしてくれた。今まで幾人もの人間と身体を重ね、今と同じく愛の介在しない関係を結んでいた事もあったが、長岡程本山を満たしてくれる人間はいなかった。
 囁く声が、撫でる指が、堪らなく情欲を煽る。
 ほんの少し意地悪い笑みが、強引に身体を割り開く切なさが、足りなかった全てを満たしていく。



 長岡と身体を重ねる事も習慣のようになった頃、愉悦に貪欲な二人は道具を使うようになっていた。
「長岡っ……そこ、やめ」
 突き入れられた指先が前立腺を抉り、悲鳴のような喘ぎ声をあげた。湧き上がる快感は本山の許容量などとっくに越えてしまっていて、けれど、いくらやめてと訴えても長岡は責める指を休ませようとはしない。喘ぐ度、感じるその場所を突いては捏ね回し、愉悦の神経の塊を刺激していく。
 そして、本山も抵抗しようにもする事が出来なかった。なぜならば両腕は手首を麻縄で一つに纏められ、ベッドヘッドと結ばれていた。縄に余裕はなく、腕を下ろす事すらも許されていない。足は左右に大きく割り開かれ、足首から繋がった縄はベッドに固定されて自らの意思では閉じる事ができなかった。
 その中で唯一できる抵抗と言えば、身を捩る事くらいだったが大した意味は成さなかった。
「なんで?本山気持ち良さそうにしてるのに、こうされるのヤなんだ?」
 言いながら中の指を拡げられ、増える圧迫感とその得も言われぬ愉悦に息を詰める。逸らした喉は苦しげに何度も息を吸い込み、溢れる唾液を飲み込む度に喉仏が上下に動いた。
「あぁっ……!」
 勃起したそれに視線を感じる。先端からはまるでおもらしをしてしまったかのように先走りの液体が溢れ続け自らを艶やかに彩っていた。
 巡る快感は心地良く、己の全てを溶かしてしまいそうだった。このまま溶けてなくなってしまってもいいと思える程の圧倒的な愉悦は、正常な思考回路を蝕んでいく。
「なぁ、本山、気持ち良い?」
 低く囁かれて、内壁はきゅんと疼いた。飲み込んだ男の指を更に飲み込もうと知らず知らずのうちに蠕動し、自由の効かない身体で腰を振り、感じる場所を擦りつける。晒された内腿は快楽を感じる度にひくひくと震えて見る者を惑わせる。
「やぁっ……」
 そうして自ら快感を得ようとしていると言うのに、言葉だけは快感から逃れようと必死だった。
 本音を言えばもっと凄まじい快感が欲しかった。抵抗なんて無視して、このまま思うように犯して欲しかった。物のように扱って、強引なまでの快楽を感じたかった。
 けれど、唯一残されたプライドで、愉悦に呑まれてしまう事を拒んでいた。
「ふぅん、じゃあもうやめとこっか」
「ひっ――」
 長岡はそう言って、指を曲げて深くそこを抉りながら指を体内から引きずり出した。局地的な嵐のような電流に痺れる身体はなくなってしまった物を求めてひくひくと後孔を蠢かせる。
 本山が言葉で望む通り、身体に与えられる快感はなくなった。
 だが、既に燃え上がった身体は本能の赴くまま先程まで与えられていたものを求めて疼き続けるのだ。
 触られてもいなかった乳首はじんじんと熱を持ってぷっくりと膨れ上がり、勃起したままのペニスだって見え隠れしていた絶頂を目指して期待している。熱はぐるぐると体内を巡り――しかし、身動きをとれない本山に、それを解消する術はない。
 濡れた瞳で自分の足の間にいる男を見下ろしても、男はにやにやと嫌らしい笑みを浮かべているだけだった。
「ながおかぁ……」
 途中で失ってしまった愉悦を求めて、プライドは崩れゆく。
 今にも泣きだしてしまいそうな声色で男の名を呼んでみる。
「なに?」
 絡んだ視線は、自分とは対照的に冷静だった。熱に浮かされて愉悦を求めている事が恥ずかしいとさえ思えるのに、そうさせたのは長岡なのだと思うと無性に腹立たしくも思える。けれど、今はそんな事はどうでもよくて、快楽に対する焦燥しか浮かばなかった。
「ほし……い」
 震える声で愉悦を求める。自分を壊す程の快感を、おかしくなってしまいそうな程の快楽を求めていた。
「何を?」
 けれど、長岡はわざとらしく首を傾げるのだ。
「……っ」
 わかっている癖に、わからないフリをする。
「何が欲しいの?言わなきゃ、わかんない」
 わからないわけがない。
 長岡はどこまでも意地悪で、爽やかな笑みの裏には黒い腹が見え隠れする。
「いじわるっ……」
 唇を噛み締めて唾を飲み込む。
 このまま何も言わなければ、長岡はこのまま何もわからないフリを続けるだけだ。そんな事はこの短い期間の付き合いで十二分に理解している。
「言ってよ、言ってくれたらなんでもしてあげる」
 だから、言わなければならなかった。
 自分の希望を、求めるものを、肉欲に素直にならなければなかった。
「お、」
 羞恥と欲望が心を苛み、そして踏み出す。
「お尻……、触って」
 頬に熱が集まるのがわかった。
「お尻のどこを?」
 しかし、長岡はそれでは満足しない。
「ちゃんと言えって。言えたらご褒美あげるから」
 ご褒美という響きにどうしようもない甘さを感じる。目の前に滴る蜜に濡れたくて、体内に蠢く衝動を感じたくて、纏う羞恥から目を逸らす。
「……お尻のナカ……気持ち良いところ、もっと触って欲しい……!たくさん突いて、嬲って欲し……い」
 言葉と一緒に僅かに腰を振る。勃起したペニスがふらふらと揺れた。
「……よくできました、ご褒美あげる」
 満足げに頷いた長岡は再び本山の足の間へと手をかける。
 とろんとしたローションのぬめりを感じて、後孔へあてがわれたそれは躊躇なく侵入する。
「ひっな――ぁぁああああっ……!」
 だが、それは本山が求めていた指ではなかった。
 奥まで突き込まれ、その刹那ぶぅぅん、と低い音が響いた。振動するそれは所謂大人の玩具だ。
 男性器を模したそれはところどころにイボのような大きな突起が作られていて、根元まで飲み込むとそのイボがちょうど前立腺にぶつかるようになっている。
 スイッチを入れると細やかに力強く振動し、快感の神経の塊は容赦なく刺激される。
「ながぁっ……おかぁっ……」
 本山が求めていた通りの、先程与えられていた指での刺激など簡単に超越する絶大な快感だった。
 拘束された足先に自然と力が入り、縄の繋がれたその部分がぎしりと軋んだ。しかし、いくら力を入れようとも縄は肌に食い込むだけで本山を解放する気配はない。
 頭の心が痺れて蕩けそうな愉悦は鉛毒のようで、逃れたい程の快楽だった。
 自分を犯す玩具は疲れる事も知らず容赦なく快感の源だけを抉り続ける。
「ひぃぁああああっ」
 喘ぐ声は掠れ、そこが現実なのか幻想なのかの区別もついていない。
 身体をびくりと跳ねさせ、絶頂の瞬間を迎えた。
 いきり勃ったペニスの先から白濁液が溢れ、下腹を汚した。
「や、とめ……とめてぇっ……!」
 だが体内に埋め込まれた玩具は止まることはない。
 足の間にいる長岡に縋るような視線を向けてもにこりと爽やかな笑みを返されただけだった。
 絶頂を迎えたばかりで敏感になっているそこを、絶え間なく刺激されてどうにかなってしまいさうだった。
「ひぃっ――」
 頭の中が酷く熱かった。
 体内で震えるそれが、今の本山の全てだ。
 自分がその玩具に犯されるために生まれてきたかのような錯覚、愉悦だけを感じるための生き物になってしまったかのような幻覚。喉はひりついて、微かに血の味がした。
 けれど、それでも地獄のような快楽は終わらない。
 前立腺を抉られ、本山は続けざまに二度目の射精を迎えた。
「ホントいい眺め」
 遠くから長岡の声が聞こえる。
 すぐそばにいるはずなのに、快楽に蝕まれた身体ではよくわからなかった。
「次はナニしよっか?本山はナニしたい?」
 問われて、ふるふると首を横に振る。
 次の事なんて考えられなかった。それに、できる事ならもう何もしたくなかった。
 思考を奪い熱を与えてくる玩具のスイッチを止めて、この地獄から解放されたかった。
「とめてぇっ……」
 目尻には生理的な涙が溢れ、零れたそれが髪を濡らす。
 長岡は本山の後孔からひょっこりと生えた玩具の持ち手に手をかける。
 もうすぐ解放される――そう期待するのに、玩具のスイッチはなかなか切られることはなかった。
 長岡に視線を遣ると、にやりと笑った。
「次ナニしたいか教えてくれたら止めてあげる」
 その長岡の瞳は本気だ。本山が長岡の望む答えを出すまでスイッチを切ることはないのだと窺える。焦燥と切なさが溢れそうになり、再び絶頂をむかえそうな下腹に力を込めた。
 下唇を噛み締めて襲い来る愉悦に耐えていると、長岡は焦れたのか振動する玩具で本山の内壁を抉るように傾ける。
「尿道は遊んだ事ある?俺さ、一度でいいからピアス開けてあげたいんだよね。乳首でいいから……ってもお前の乳首小さいし、開けるんならもっと大きくしないとダメだな。……野外とかでも燃えそう。本山はさ、ナニがしたい?」
 長岡の自分勝手な声は、快感に犯される身体の中に入り込みぐるぐると回る。
 今まで肉欲には素直に生きてきた。経験した人数も両手を合わせても数えきれないくらいはあるし、もう覚えていない一夜限りの相手だっている。けれど、特殊なプレイはほとんどした事がなかった。
 なにか特別な事をしたいと思った事はない。普通のプレイで満足できていた。
「……はやく言えって」
「ひぅっ――」
 振動する玩具で前立腺を抉られて背を弓なりに反らした。勃起したペニスが揺れ、蜜を散らす。
「言わないなら勝手に決めるぞ」
 何かを喋る余裕もない本山を無視して、話は勝手に進んでいく。このままではいけないとわかっていても、今の本山にはどうする事もできなかった。
「んーそうだなぁ……今回は縛ってるだけだけど次縛る時は目隠しも用意したいよな。あとヘッドフォンとかさ」
 ぐちゃぐちゃと音を立てて玩具で本山の中を掻き回しながら、長岡は思考を言葉に出していく。排泄器官であるはずのそこは、もう愉悦しか感じられなかった。自分が玩具の一部か何かになったかのような気分だった。
「三人でヤるのとかどう?もう一人誰か探してさ、本山も楽しめると思うんだけど」
 許容量を超えた快楽は辛さしか呼び起こさない。今この地獄から解放されるなら、もう何でもよかった。――後の事は、後から考えるべきだ。
 本山はわけもわからず必死に頷いて、解放を待ち望む。
「あぁ、やっぱスキモンだな、お前」
 呟いた長岡は振動するままの玩具を勢いよく抜き取った。収縮する内壁を強く擦りあげられ、悲鳴をあげる。
「ひゃぁぁああああっ――――」
 愉悦が、身体を覆う。目の前が真っ白になるような快楽だった。