獰猛な指先 第七話



 それぞれに仕事を終えた二人はメールで連絡を取り合いながらバラバラに退勤し、会社から数駅離れた寂れた歓楽街で落ち合った。時間差を取ったのはそれぞれに事前準備の時間を欲したからだった。
 定時で退社すると、夏場の今頃ではまだ空が明るい。この辺りはラブホテルや風俗、それに飲み屋といった店がほとんどで、夜になれば怪しげな活気を見せる街ではあったが、太陽も沈みきっていないこの時間帯ではまだ人はまばらだった。
 本山は長岡を先導するように数歩前を歩き、ラブホテルへと向かった。一見、ビジネスホテルのようなシンプルな外観のこのラブホテルは周囲の他のホテルと違って特筆すべき特徴というものはないが、その分値段も安く、何度か使用した事があった。
 建物に入ると適当に部屋を選んで鍵を受け取り、エレベーターを使ってその部屋へと向かう。
 長岡をホテルに誘ったのは――ただの気まぐれで、開き直りだ。どうせ身体の関係から逃れられないなら、少しでも楽しんだ方が勝ちなのだから。夏の湿気が身体に纏って不快だった。
 フロアにつくと部屋番号を案内するランプが灯っていて、それに従って廊下を曲がると自分達のとった部屋へとついた。カードキーを差し込んでロックを開錠し、ドアを開ける。
「……なんかさ、お前って前は大人しいやつっていう印象しかなかったんだけど、意外に大胆だよな」
 二人が部屋に入り込むと支えを失ったドアは大きな音を立てて閉まり、間もなくオートロックの錠が落ちた。ネクタイを緩める為に結び目へ指を突っ込んだ本山の背中を眺めながら、長岡はぼんやりと、どこか独り言のようにそう言葉を紡いだ。
「全然大人しくないし、積極的だし、淫乱だし、前までのイメージと違いすぎてびっくりしてる」
 振り返った本山に、今度は独り言ではなくはっきりと相手に伝えるための口調で目を見詰めて言う。
 自分を見詰めるその瞳はなぜか居心地が悪く、本山はぷいと視線を逸らしシャワールームへと続く扉を開けた。
「お前だって、会社で知ってたみたいな性格じゃないじゃん。優しそうで頼りになりそうだとか思ってたけど、実際はただの横暴な性欲魔人なだけだったし」
 脱衣場へ置かれているビニールに包まれたバスタオルを出し、シャワーを浴びる準備をする。
「それ、お前に言われたくないんだけど。初めに襲ってきたのはどっちだよ」
 言われて、本山は動きをピタリと止める。
 酒の失敗だったとは言えそれは思い返したくもない事実で――覆す事のできない汚点だった。どうして長岡のような人間を好きになってしまったのか、どうしてあの時理性を抑えきれなかったのか、今となってはどうしようもない後悔ばかりなのだ。
「……襲われて男相手に勃たせてたお前がそれ言うんだ?」
 首だけで背後の長岡を振り返りギロリと睨む。しかし、すぐに向き直ると再びシャワーを浴びる準備を再開させる。ネクタイを抜き去り、ワイシャツのボタンを外す。肌着をつけていたとはいえ、一日着たシャツは汗を吸っていて、この後もう一度着なければいけないのかと思うとうんざりしてしまう。
 脱衣場の入り口で壁に体重を預けるように背をもたれさせていた長岡は、露わになった背中に笑みを漏らす。
「ああ、一応スキモンだっていう自覚はあるさ。……男相手にすんのはお前が初めてだけど、結構イイしな」
 そう言われては、悪い気はしない。自身が普通ではない事を自覚してからというもの、ある意味開き直って色欲に従って生きてきた。黙っていても男が寄ってくる容姿をしているが、それから先は外見ではなく中身での勝負となる。中身と言えば単純に性格を指したりもするが、男同士の、それも色欲を優先した関係では性技を指す。
 本山はニッと口角をあげて振りかえった。
「今日も楽しませてやるよ」
「エラソーに言うような事かよ」
 互いに声をあげて笑い、スラックスも脱いで全裸になってシャワールームへと足を踏み入れた。
 つい先日までは長岡にあれ程までに腹を立てていたはずなのに、今となってはどうでもいい事のように思える。
 あの脅し――職場にバラすというあの脅しを怖がって始まった関係ではあったが、よくよく考えてみればそう悪い話ではない。長岡と良い関係さえ気付けていれば脅しを怖がる必要はないし、それに惚れていただけあって長岡の顔も好みだったし身体の相性だって悪くない。いささかプライベートでは横暴なところもあるが、それも個性の範疇内だろう。
 鋭いシャワーの針に身を任せ、一日の汚れを落としていく。クーラーの効いた場所で椅子に座りずっとパソコンに向かっている仕事とは言え、夏の照りつける暑さで通勤時間の内だけでもそれなりの汗をかく。
 家とは違うボディーソープの甘い香りに包まれた本山は、長岡と入れ違いにシャワールームを後にし、部屋の真ん中で存在感を放つベッドへと腰かけた。冷房に晒されて冷えたシーツの感触がシャワーによって熱くなった肌に心地良かった。
 耳を澄ませば遠くから長岡のシャワーを使う音が聞こえてくる。身体の水分は全て拭き取り、髪は軽くタオルドライをしただけで、冷房の風は素肌には冷たすぎて掛布を引っ張って身体を覆う。服を着たところでどうせまたすぐに脱がなければならないのだから意味はない。
 こうして長岡とセックスをするためにきちんと備えたのは初めての事だった。
 胸を焦がす様な恋は儚く潰えて色欲にすげかわる。それについて今更何かを言うつもりはない。世の中には恋を成就させ、愛へと変化させる事の出来る人間もいるが、本山のようにそうは出来ない人間もそれなりにいるはずだ。――頭ではわかっていても、少しだけ寂しくなってしまうのは何故だろうか。
 ぼんやりと物思いに耽っている間に、シャワーを終えた長岡が部屋に戻ってきていた。
 まだ何の反応もしていないペニスをぶら下げて部屋を歩く同僚の姿というのは何だか非現実的でおかしかった。
「……しよっか」
 纏っていた掛布を脱いで長岡をベッドの中へ誘い入れる。互いに汗を流し、サラサラの肌が触れ合うその感触が心地良かった。
 ぎしり、とベッドを軋ませて長岡は本山の足の間へと膝をついてその身体に覆い被さるように押し倒した。
「ん……」
 おろしたてのシーツに背を預け長岡の体重を受け入れる。
 合わさった唇の隙間から声が漏れる。柔らかな唇を貪り、そして己の唇を与える。普段他人と触れる事のない場所を触れ合わせ、じれったい程にゆっくりと期待を高まらせた。
 舌はやがて合わさる唇を割り、互いに絡みだす。粘膜同士の接触は恍惚とした夢の中のようだった。
 甘いシャンプーの香りに包まれながら粘膜を侵食する舌に酔いしれ、長岡の素肌の胸へと縋った。
 絡まる舌はまるで牢獄のようで、煩わしい日常はどこかへと消え去っていく。身体の熱は高まり、訪れる愉悦の時を期待して鼓動が高鳴る。
「ふぁっ……」
 少し冷えた指先で耳を撫でられ、本山は反射的に声をあげた。
 快感に成り損ねたくすぐったさが身を包み、けれど熱を持った身体は更なる刺激を求めて揺れ動く。
 貪っていた唇はそのまま這いながら徐々に下へと移動する。頬から顎、顎から首筋、時折ちゅ、と音を立てて撫でるように滑っていった。
 行き場を求めて彷徨う本山の指は長岡に捉えられ、その指を互いに絡め合った。長岡の骨張った関節は凛々しく、一時の戯れへの期待が高まる。
 鎖骨を撫でた唇は長岡の胸に咲く突起へと辿り着いた。ぬめる舌でそこを優しく抉られてぴくりと肩が跳ねる。小さな粒を捏ねられる度、そこから腰へじんと痺れるような電流が流れていく。それを誤魔化そうと足をすり寄せようとしたが、膝の間にある長岡の足を挟んでしまって閉じる事はできなかった。漏れそうになる声を唇を噛み締める事で堪えた。
「ん……っあ……」
 そこで感じる事が恥ずかしかった。
 手でくち抑えたくとも、両手とも長岡によってシーツに押さえつけられていてはそれも叶わない。
 執拗に唾液を絡め、濡れた音を立てながら啜られ、時には歯を立てられ――痛みさえも甘い刺激に変わる。
 じんじんと痺れる刺激は快感で、期待は硬度を増して天を突く。
 そこだけではなく、もっと触って欲しい場所があった。更なる愉悦を貪りたくて、焦れったくて堪らなかった。
「なが、おか……」
 引っくり返りそうになる声に冷静を強いてか細い声で男の名を呼んだ。長岡が動く度に揺れる毛先が肌を掠めてくすぐったかった。
「下も、触って……」
 腰を揺らし、わざとらしく誘ってみる。視線を遣った下腹では既に成長しきった男性器がひくひくと揺れていた。
 長岡は小さな粒から口を離してその男性器を見遣ると、にやりと意地わるげに唇を歪ませて作った笑みを本山に向ける。
「触るって、どんな風に」
 どんな風に――そんな事は何も考えていなかった。ただ、そこに触れ、その手のひらで扱いてもらって、あわよくば絶頂を迎えられればそれだけでよかったのだ。
「どんなって……」
 戸惑う本山をよそに、長岡は指先でいきりたった男性器の先端を小さく弾く。
「っ――――」
 痛みを伴わない程の絶妙の強さで、やっと触れて貰えたそこから全身に愉悦が巡っていく。けれど、その続きはいくら待ってもやってこなかった。
 見知った快楽を求めて熱は燻るのにいつまでも満たされずに疼いた。
「どんな風にして欲しいのか、言ってくれたらその通りにしてやるよ。本山はどんな風にしてほしい?根本から先っぽまでゆっくり扱いてみたり、唾液でぬるぬるにして裏筋のとこだけなぞってみたり、亀頭だけをくすぐってみたり、どうして欲しい?……言ってくれるまで、触らないから」
 そう言われても本山には言葉を思い付けなかった。――して欲しい事はたくさんあっても、それを自ら強請るなんて考えた事もなかった。
 しかし、両手を抑え付けられ、真上からじっと見下ろされて強引に視線を絡め取られ、長岡は本気なのだと思い知る。本山が言葉を口にしなければきっといつまで経ってもその先に進める事はないのだろう。
 羞恥で、頬に熱が昇っていく。自分でも感じる程に熱く、その熱で思考さえも蕩けてしまいそうだった。普段――冷静な思考回路を持っていれば『おねだり』なんてする事はない。まして今は酒も入っていない素面の状態だ。それなのに言葉を口にしてしまったのは、長岡の熱い視線のせいだと思う事にした。
「……根本から強めに扱いて、亀頭もぬるぬるにして、それから……えっと……舐めて、欲しい……」
 視線を合わせたまま言うのは気恥ずかしく、出来る限り顔を背けてはみたが押さえつけられている姿勢ではあまり意味を為していない。
「よくできました」
 言い終ると長岡はそう言って本山の手を解放して身体ごと下の方へと移動した。
「うぁ、なにっ……」
「足開いてくんないと舐めるのも舐められないだろ。ほら、膝立てて」
 長岡に足をぐいっと広げられ、言われるままに膝を立てる。が、そうする事で普段は見せるべきではない場所が足の間に割り入った長岡に全て露呈する事になってしまう。
「や、……ちょっ、恥ずかしいって……」
「イマサラ、だろ?」
 そんな事を言われてしまえば、本山は返す言葉を失ってしまう。今まで散々あられもない姿を見せつけてきたのだ。
 天を突く男性器に痛い程の視線を感じ、自由になった腕で自身の顔を覆う。見られる事で興奮を覚える己がたまらなく恥ずかしかった。
「ん、あっ……」
 欲しかった場所に触れられ、甘い吐息が漏れる。自分の手ではない握力に握られて、何かを絞りだすかのように扱かれる。乳首で得られる快感とは違い、本能を揺さぶる強烈なそれだった。
 そうしてしばらく襲い来る快感に耐えているうちに先端の孔からは透明な蜜が溢れ出し、長岡の手の動きに合わせて濡れた音が響くようになった。
「ひ、あっ……それ、たまんないっ……!」
 蜜を掬い取った指先はそのとろりとした液体を先端に塗りつけるように蠢き、敏感な先端を嬲られる甘美な刺激に腰が浮いてしまう。
 脳髄が快感に犯されていく。全ての事がどうでもよくなってしまう。与えられる愉悦だけが全てで、もっともっと高みを目指したかった。
 亀頭を捏ねるように弄ばれ、毒のような快楽が身体にまわる。
 先端だけをつつかれていたかと思えば今度は根本から扱かれて嬌声は絶え間なく漏れた。
 あと少し、もう少しで絶頂に手が届く。与えられる快楽は絶大でこのまま白濁を撒き散らしてしまいたいと、そう望んだところで――長岡はペニスから手を離した。
「な……んで」
 夢半ばで解放されたペニスはひくひくと疼いて極みを求める。その欲望に突き動かされて濡れた瞳で長岡に縋るような視線を向けた。
「本山、自分で膝抱えて俺が触りやすくなるようにしてみてよ」
 意地悪く笑う長岡に求められてわけもわからず言われたとおりにする。
 膝の裏に手を通して顔の方に引き寄せると尻が浮き、まるで自身の秘部を見せつけるかのような姿勢だ。
「っはやく……!」
 もっと、更なる快感を、夢のような刺激を、頭がおかしくなってしまう程の愉悦を、身体が求めていた。
「……ほんと、昼間のお前からじゃ考えられねーよな」
 呟いた長岡はひくひくと揺れ動くペニスをぱくりと口に含んだ。
「んんぁうっ……」
 手で扱かれるのとは別種の甘美な愉悦が身を包む。生暖かい口内に含まれて、ぬめる舌が絡む。じゅるり、と唾液の音が耳に入り無性に羞恥を煽られた。
 舌先で尿道口をつつかれて腰ががくがくと震える。かと思えば裏筋を舌でなぞられてその優しい刺激に唇を噛み締めて身悶えた。
 抱え上げた事で宙に浮いた足先がびくりと跳ねて彷徨う。腰が痺れるような快感は身体の奥深くまで沈み込むように染み入って広がっていく。
「ん……はぁっ……」
 熱く蕩けきった声は自分のものではないようだった。
 自ら出来る限り足を大きく開いて男に痴態をひけらかしているのだと思うと、それだけで昂ぶるものがあった。
「んんっ……!」
 後孔に男の指を感じた。男根から滴らせた唾液は既にその孔にも達していて、唾液のぬめりの力を借りた指先は受け入れる事に慣れた孔に難なく侵入する。
 男根に刺激を与えられながら身体を割開かれ、背徳的な行為に身をよじる。口内に含まれたそれから這い上がる快楽に身体を強張らせれば、飲み込んだ指を締め付けてしまう。骨張った男の指にたまらない愛しさと、体内で得る愉悦を思い出して甘い声があがる。
「なが、おかぁ……」
 知らず知らずのうちに媚びるような声で男の名前を呼んでいた。指を締めあげて腰をゆすり、もっと、と強請る様に内壁へと擦り付ける。
 ちゅぱ、と音を立てながら長岡は今にも破裂してしまいそうなペニスを口から出す。唾液と自ら分泌した液体に濡れたそれはてらてらと淫靡な光を反射していた。
「淫乱」
 にやりと口角をあげた長岡はそう囁いて、指を更にもう一本差し入れる。
「ふっあ……」
 息を吐いて二本目の指を受け入れ、そそり立つペニスを揺らした。