溺れそうな暗闇で、照らす光は眩しくて。 第四話


 その日用意されていた服は、紺色の夏用セーラー服だった。大きな襟の部分には白いラインが入っていて、胸元にはワインレッドのリボンを止めなければいけない。
「遼さん……、これ着なきゃダメ……ですか?」
 風呂からあがって腰にタオルを巻いただけの姿で、コーキは遼を見た。一緒に風呂からあがってきたところで、遼の髪はまだ雫を滴らせる程に濡れている。ちなみに遼は部屋着のスラックスにワイシャツというシンプルないでたちだ。
「セーラー服、可愛いよね。僕としては女装にそんなに興味ないんだけど、コーキくんは線も細いし肌も白いし、紺色のセーラー服似合いそうだなぁって思って取り寄せたんだよ」
 遼は堂々と胸を張って答えた。
 女装に興味がないのなら、興味がないままでいてほしかった。コーキだって女装に興味はない。コーキは手に持ったセーラー服を見て小さな溜息を吐く。
 どうせ見るのは遼だけなのだから、どんな格好をしてもいいのではないか、と思わないこともない。しかし、遼に出会うまで性的に倒錯した趣味とは無縁だったコーキには、女学生用のセーラー服を着るという行為に怖じ気付いてしまう。
「……」
 スカートを広げ、身体の上から合わせてみる。
 スカートの丈は膝上十センチ程だろうか。この手の制服のスカートとして見れば、決して短い方ではない。
「あの、遼さん」
 だが、問題はスカート丈が長いか短いかの話ではない。
 リボンのついたセーラー服を着る、という事が受け入れられなかった。
「なに」
 コーキが呼びかけると遼は片眉をあげながら返事をした。
「他の服ってないんですかね……? 俺、セーラー服はちょっと……」
 言葉尻を濁したのは、はっきり着れないと言い切ってしまう事が憚られたからだ。――ペットであるコーキに、遼に逆らう権利は与えられていない。
 スカートを身体から離し、じろりと一瞥する。
 女子高生がセーラー服を着て歩いている姿を見て、可愛いと思った事はある。今現在だってテレビの中に映るセーラー服姿の女子高生を可愛いと思える感性を持ち合わせている。
 だが、それを自分が着るとなると話は別だ。
 胸元を彩るリボンやひらひらと舞うようなスカートは女性の身体に合わせて作られたものだ。胸の膨らみや丸みを帯びた身体のラインがあって、初めて『かわいい』ものになる。それを男であるコーキが着ても『かわいい』にはならず、むしろ滑稽になるのではないかと考えていた。
 遼からの返事がない事に気付き、コーキはスカートから目を逸らし遼を見遣る。
「えっと……」
 遼は眉を顰めコーキに鋭い視線を突き刺していた。機嫌を損ねてしまったのだ、と気付き、誤魔化すようにわざとらしい笑みを浮かべてみる。
 けれど、遼は溜息を吐いただけで機嫌が直った様子はない。生活していくうちに判明した事だったが、遼は非常に短気だった。そして、一度機嫌を損ねてしまうと収拾がつかない事になる。
「あ、あの、俺これ……着るんで」
 だから、できれば遼の機嫌を損ねたくなかった。普段は意識して気をつけているのに、今日はうっかりしてしまっていた。慌てて手に持っていたスカートを置いて立ち上がり、スカートのジッパーを下ろして腰に巻いていたタオルを取りスカートを穿いた。
 遼に裸を見られる事にまだ抵抗があったが、この際そんな事は言ってられなかった。
 紺色の半そでシャツに袖を通してボタンを閉め、さらに襟元にリボンを飾る。女性もののリボンを結ぶなんて初めてで、慌てた手元にはやや厳しく少し歪んでしまった。それでもなんとか形にし、軽く腕を広げるようにして厳しい瞳の遼にセーラー服姿を見せる。
「……」
 腕を組んだ遼は無言のままコーキを見下ろした。無遠慮な視線が、似合っていない自覚のあるコーキへと投げかけられる。
「遼、さん……」
 コーキの背を冷たい汗が伝った。声が震えたのは収まる事無くぶつけられる怒りの気配をつぶさに感じ取ったからだ。
 そして、遼は閉じていた口を開く。
「ねぇ、ペットが主人に口答えをしてもいいと思ってるの?」
 この家で暮らすためのルールに、『遼の言う事には逆らわない』というものがあった。遼の言う事は絶対で、ペットであるコーキはそれがどんな内容であれ遼に従わなければならない。
 主人とペットという関係を築いた限り、破ってはならないルールだとわかっていたが、今日はついうっかり口を滑らせてしまった。――この生活に慣れてきたせいで気が緩んでしまったのかもしれない。
「すみません……」
 遼からさっと目を逸らして俯き、謝罪の言葉を口にする。
 遼との生活は、これまでの全てを忘れたいと思っていたコーキにとって、とても有り難いものだった。遼の側でペットとして暮らす生活は、これまでの日常からかけ離れたものだ。仕事をする必要もなく、一日寝ていても何も言われない。食事や寝床を提供され、過ごしやすく、心地良い。その環境を提供してくれる遼に親しみの感情も湧いてきた。
 だから、できることなら遼の機嫌を損ねずにこの生活を持続させたかった。
 俯いているせいでスカートに素足の自分の身体しか見えない。
「……はぁ、こっちにおいで」
 遼は深いため息のあと、踵を返し寝室に向かう。コーキは湧き上がる脅えを無視し、その後を追った。



 ベッドの上で待つように言われ、コーキは大人しくそれに従った。遼は寝室にあるクローゼットを開け、その中を漁り何かを取り出した。金属の擦れる音が耳につき、コーキは遼の手にあるそれを見る。
「良いペットになれるように、ちゃんと躾け直してあげる」
 振り向いた遼が持っていたのは銀色に鈍く光る鎖と黒い革製の拘束具だった。一体これから何が起きるのか、不安でたまらなかった。
 ベッドへと歩み寄ってくる遼に恐怖を感じる。今ならまだ抵抗する事ができる。体格差はあるが、致命的というほどのものでもない。その気になれば逃げだす事もできるはずだ。
 だが、財布や携帯電話は遼に没収されていて、コーキはセーラー服姿だ。着てきた服や外出に適している服の在り処は知らされていない。抵抗をしても逃げ道はなかった。
「……はい」
 コーキは諦めて頷き、遼に身を任せる。
 後ろ手に捕らえられた左右の腕に革製の腕枷が嵌められた。左右の腕枷は短い鎖で繋がっており、腕はほとんど動かせなくなってしまう。
 首輪の金具に鎖が巻かれ南京錠をかけられる。こちらの鎖はそれなりに長く、ベッドの周囲くらいなら立ち上がって動き回る事もできそうだ。
 その状態で遼はコーキを仰向けに押し倒し、腹の上に馬乗りになる。
「痛っ……!」
 遼に髪を掴まれ、コーキは短い悲鳴をあげた。頭皮が引っ張られぶちぶちと音を立てる。この調子では何本か確実に抜けてしまっている事だろう。
 コーキの髪を掴んで頭を固定した遼はその眼前に顔を寄せ、視線を合わせた。仰向けに寝転がっているのに、髪を引っ張られている事で首から上だけが宙に浮く。
「コーキくんの主人は、だれ?」
 鼻先が触れそうな距離で、遼の言葉だけが脳内に響くようだ。身体の下敷きになった腕が痺れを訴えてくる。しかし、それを気にしている余裕はない。
「……遼さん、です……」
 恐怖に震える声で訊かれた事に答える。遼の鋭い視線は身体の芯まで貫くようだ。
「主人には口答えしていいんだっけ?」
 詰問するような口調はコーキを責め立てる。
「ダメです……」
 引っ張られ続けている頭皮がじんじんと痛み、その痛みを誤魔化すかのように唇を噛んだ。
「じゃあ、僕が与えた服は素直に着ておくべきだよね?」
 遼の声は怒鳴っているわけではない。ただ静かに、けれどはっきりとした口調で、奥に潜む怒りを醸し出す。どうして遼がここまで怒ってしまっているのかコーキには理解ができない。指定された服を着たくない、と言う事はそれほどまでに罪な事なのだろうか。
「す、すみませんでした! あ、あの俺、次はないようにするんで」
「そんなこと当たり前だよ」
 謝罪の言葉は遮られ、髪を更に強く引っ張られた。
 それについて行こうと必死に首をあげるが限度もある。
「う、ぁ……」
 痛みに顔を顰め呻き声をあげたところでようやく解放された。ベッドの柔らかなクッションに頭が落ち、惨めさが増す。
「もっとペットの自覚を持たないと。キミは僕のペットなんだから、僕の言う事だけをきいてればいいんだよ」
 馬乗りのまま上体を起こした遼はコーキを見下ろして淡々と告げた。
「……ペットの、自覚……」
 遼の言葉を口の中で繰り返す。
「そう、ペットの自覚。キミが僕に逆らう権利はないのは当たり前として、そろそろ芸も出来るようにならないと」
 芸とは、具体的に何を指しているのかコーキにはよくわからなかった。
「芸……ですか?」
 疑問をそのまま口にし、遼に答えを求める。
「何もしなくていいとは言ったけど、芸を覚えるのはペットの仕事だからね」
 遼の答えは曖昧なものでコーキは首を傾げた。
 その様子を見た遼はため息を吐き、コーキの頭の下に枕を割り入れて頭を起こさせると自らのスラックスと下着を脱ぎ捨てる。コーキの腹の上から胸元辺りまで移動し、ワイシャツの裾を捲って萎えたペニスをコーキの口元へと突きつけた。
「主人へのご奉仕も芸の一つだよ」
 遼とのセックスはもう何度かこなし、男同士のそれにもようやく慣れてきた頃だ。
 だが、コーキは今まで遼の性器に直接触れるどころか視界に入れる事もあまりなかった。
 その男性器が、今は目の前にある。
 自分のモノならいざ知らず、他人の男性器をこうして目の前で見るなんて初めてだった。
「っ……!」
 遼のいわんとする事を理解し息をのむ。
 つまり、舐めろという事だ。
 いつかそんな要求をされるのではないかと覚悟をしていた。主人とペットという関係性を考えれば奉仕はごく当然のものだろう。コーキに男性経験がない事を考慮して遼は要求を控えていたようだ。
 他人の男性器は自分についているものよりも一層グロテスクに見える。
 ごくり、と生唾を飲み込む。いましがた二人で風呂に入ったばかりとは言え、男性器を口に咥えるという行為には少なからずの嫌悪感があった。
「ほら、はやく」
 いつまでも口を開こうとしないコーキの唇に、遼は萎えた性器の先端を擦りつける。
「んっ……」
 湧き上がる抵抗を押し殺し唇を開いた。震える舌先に亀頭が触れる。そして、口腔内に性器が押し込まれた。
「コーキはどうやって舐められるのが好き? 自分のされたいようにやってみて」
 遼に促され、ほとんど泣きそうになりながらおずおずと舌を動かす。一度口に含んでしまったのだから、あとはもう遼を受け入れるほかなかった。性器全体を舌で転がすようにすると、性器は膨らみ硬さを持ち始める。
「そう、いい子。もっと唾液絡める感じで舌動かして、少し吸ったりとかしてみて」
 男の性器を舐めるのは初めてでも、どこを触れば気持ちいいのかはよくわかる。遼の指示通りに舌を動かすと、遼はコーキの頭を柔らかな手付きで撫でた。その場所は先程まで散々に髪を引っ張られていた場所で、まだ痛みの余韻を引きずっている。
 遼の手の体温はその痛みを消していく魔法のようだった。
 そうして舐めていくうちに嫌悪感は薄れ、それよりも自らの愛撫で快感を示す性器に嬉しささえ覚えてしまう。時折、頭上から降る遼の愉悦のため息は麻薬のようにコーキを夢中にさせた。
 先端を口に咥え、裏筋を舌で刺激する。先端から溢れる先走りの味が舌に染み、唾液に混ぜて男根を濡らす。飲み込みきれなかった唾液が唇から溢れコーキの顔を汚した。
 いつの間にか完全に勃起した性器は既にコーキの口に含みきれない大きさになっていた。性的な刺激を与えられているわけでもないのに、コーキのペニスも乱れたスカートを持ち上げようとしている。
 遼はコーキの頭を撫でるのをやめ、今度は両手で左右から固定するように枕に押し付けた。
「コーキくん、喉使うからきちんと口開けて歯を立てないようにね」
 何を求められているのか察したが、嫌だと言える口は塞がれていて、手も身体の後ろで拘束されている。コーキが出来る抵抗は何もなかった。
 遼は喉奥へ性器を突き立てた。
「んぐっ……!」
 胃の中身がせり上がってくるような吐き気に身体を硬直させる。
 喉の奥を突いたのはほんの一瞬ですぐに引き抜かれた。けれど、引き抜いたその次の瞬間にまた喉奥を突かれた。
 突然訪れた苦痛の時間は耐えがたいものだ。呼吸もままならない苦しさに、拘束のない下肢はスカートを乱して空気を蹴る。喉奥に性器が入り込む度に吐き気が込み上げ身体の内側が痙攣する。自分の意思ではコントロールの出来ない涙や鼻水が溢れ涎が滴った。
「コーキくんの喉、気持ちいいよ」
 腰を使いながら遼はそんな事をうっとりとした口調で言う。だが、当の本人は込み上げる吐き気にそれどころではなかった。鼻水のせいで酸素もまともに取り入れる事ができない。蛙のように呻いては下肢をばたつかせた。
 勃起しかけていたはずのペニスもいつの間にか萎え縮んでしまっている。
 遼の呼吸は段々と荒くなり、余裕がなくなってきていた。
「顔に出すから目を閉じて」
――やっとこの苦しさから解放される。
 それだけが光のようにも思えた。
 遼に言われるまま瞼を閉じたその瞬間、唇は解放される。僅かの間をおいて頬に生暖かい液体を感じた。独特の青臭さに眉を顰めるよりも前に、その液体を纏った指が口腔内に侵入し舌へと塗りつける。
「飲み込んで」
 コーキに抵抗する術は残されていなかった。
 唾液で薄まった精液をごくりと飲み込み、感情の伴う涙を流す。ペットになる事を受け入れたのは自分自身で、全てを忘れたいと願ったはずだった。遼のペットとして暮らす生活は決して悪いものではない。
 しかし、今まで築き上げてきたプライドや精神をすりつぶされるような気がして、とてつもなく怖かった。遼の指先は、声を殺して泣くコーキの瞳から溢れる涙を拭い、頬に出した白濁の液体を口紅のようにコーキの唇へ塗りたくる。
「大丈夫。コーキくんがどこに出しても恥ずかしくないペットになれるよう、僕がちゃんと教えてあげるから」
 そして、遼は的外れな慰め文句を口にした。



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